まじかるゴースト


一月三十日 午前五時三十九分 研究棟三階 個室(一ノ木晴人)


 今日は早く目が覚めてしまった。目を覚ました俺に、ふぁいんが小さく手を挙げて笑顔を見せる。昨日は何事もなく、三食カレーライスで、救助を待つ平和な一日だった。しかしゴーストのふぁいんは今日も健在。死の危機が去ったわけではない。それでも、魔法研究施設に飛ばされてから、最も静かな一日。心も体も十分に休めることができた。

 特にやることはないが、眠気はない。俺は廊下に出て、トイレにでも向かうことにした。ふぁいんも黙ってついてきたが、さすがにトイレまでは入って来ないだろう。

 用を済ませてトイレから出ると、ふぁいんの姿が見えなかった。どこに消えたのかと不思議に思っていると、彼女はなぜか女子トイレから出てきた。

「何してるんだ?」

「えへへ、暇だったから」

「暇、か。このまま、暇なまま終わればいいんだけどな」

 周囲に人はいないので、俺は声で会話する。このままずっと、死の危機とは無縁な平和な一日が繰り返されて、救助が来ればそれが一番だ。

「……暇、ですか?」

「ん?」

 声の聞こえた方に振り向くと、そこには熾月がいた。

「熾月も目が覚めたのか?」

「はい。今日は妙に気分が良くて」

「そうか。よく眠れたみたいだな」

「あの、今、誰かと話していませんでしたか?」

 話を逸らそうとしてみたが、失敗したようだった。しかし、この展開は想定済み。言い訳を考える時間は確保できた。

「ちょっと宇宙と交信をな」

「……晴人くん、その言い訳はないと思うよ」

「宇宙……ですか……」

 ふぁいんの言葉は聞き流したが、怪訝そうな顔で俺を見る熾月は無視できない。

「ええと、宇宙といえば、星だよな。屋上へ行くか? 暇だし」

「その方が、交信しやすいんですか?」

「あとで全部話すから、引っ張らないでくれるか?」

「はい。でも、あとって……」

「決まってるだろ?」

「……はい。楽しみにしています」

 ふぁいんのことを誰かに話すのは、ここを無事に脱出してからだ。信じてもらえるかどうかは別として、樹さん以外になら話しても問題はないだろう。俺が樹さんを好きなことや、樹さんが愛する者――俺のためにゴーストの魔法を発動したこと。もしかすると、そこまで話すことになるかもしれないが、熾月になら話してもいいと思う。


一月三十日 午前五時四十七分 実験棟 屋上


「風、気持ちいいですね」

「ああ。普通なら、寒くて出られないんだろうから、本当に凄い施設だよな」

 施設内と同じとまではいかないが、程々に暖房の効いた屋上。俺と熾月は、そこから夜明けの空と、施設を囲む雪山を眺めていた。こうして見ると、美しい景色だと思う。研究で疲れた心を癒すには、最高の光景だったのだろう。

「そういえば、熾月」

「なんですか?」

「調子がいいって言ってたよな? 何かあったのか?」

 昨日、熾月と会ったのは午前中がほとんどだった。午後は八雲さんが見守る中、瑠那と二人で遊んでいたようで、あとは食事の時間に会ったくらいである。

「瑠那ちゃんと遊んだから、でしょうか? うーん……でも、この感じは……」

「どうしたんだ?」

 途中で黙ってしまった熾月に、振り向いて声をかける。彼女は景色をぼんやりと見つめたまま、夜明けの風がセミショートの髪を静かに揺らしていた。

「……けど、まさか……ううん、きっと、これって……」

「熾月?」

「晴人さん」

 俺が彼女の名前を呼んだのと、彼女がこちらを向いたのはほぼ同時だった。俺は様子を確かめただけだったので、視線で熾月の言葉を促す。

「正直、私も驚いているんですけど……驚かないでくださいね」

「無茶を言うな」

 俺は微笑みながら答えて、続きを待つ。彼女が何を言うのかはわからないが、心の準備ならいつでもできている。死の危機はどこに潜んでいるのかわからないのだから。

「その、また暴走、するかもしれないです」

「本当なのか?」

 驚きは少しだけ。表情に出すことなく、俺は冷静に尋ねる。

「はい。それに、その……」

 口ごもる熾月に、俺は笑顔を見せて続きを促す。熾月は小さく頷いて、言葉の続きを口にした。

「抑えてないはずなのに、魔力が凄いんです。前に暴走したときよりも」

「……本当か」

 さすがに今度は驚きを隠せなかった。その反応を見て、熾月はですよね? というような曖昧な表情を返してきた。


一月三十日 午前五時五十九分 研究棟一階 食堂


 熾月の話によると、すぐに暴走するということはなさそうだったので、みんなは起こさずに、起きている者だけで相談することにした。食堂へ来たのは、その起きている二人と話をするためである。

「なるほど。事情は理解しましたわ。もしかして、私とたくさん遊んだから、それが影響を与えたのかもしれませんわね」

 俺たちが屋上から戻ると、扉の前で聞き耳を立てている瑠那と八雲さんがいた。いつものように早起きしていた八雲さんが、二人で屋上に出る俺たちの姿を見かけ、瑠那を起こして一緒に盗み聞きしていたのだという。

 何のためにとはあえて尋ねずに、俺たちは場所を移して話すことにした。食堂なら、他の二人も自然とやってくる。誰が提案せずとも、みんなの足は一階へ向かっていた。

 階段を下りて、一階に。最後の曲がり角を八雲さんは迷わず直進したが、瑠那に「どこへ行きますの?」と言われて、すぐに戻ってきた。

「仲良しの女の子二人で、性的興奮を高め合えば、凄い奇跡が起こせるかと……」

 聞いてもいないのに俺に耳打ちしてきた八雲さんには、無言を返しておいた。

「つまり、瑠那のせいか」

「そうですわね。そもそも私の魔法が失敗しなければ、あなた方はここにいらっしゃらなかったのですから」

「お二人の相性の良さが証明されましたね。別の意味での相性も今すぐに確認したいところですが、まずは暴走を抑えなくてはなりません」

 前と同じ方法では、今回の暴走は止められない。前回でさえぎりぎりだったのだ。それよりも凄いというのを、俺一人で止められるはずがない。

「凄い魔法には凄い魔法で……私の出番ですわね!」

「お嬢様。それは最終手段です」

「ああ。今の瑠那だと、一か八かになるだろうな」

「そうですか。お兄ちゃんがそう言うのなら、今は諦めますわ」

「どうしましょう……最悪、時間はありますし、私が外に……」

「あら、熾月? 何を言っていますの? 逃がしませんわよ?」

「逃がさないって……もう、瑠那ちゃん」

 後ろ向きな発言をした熾月に、瑠那は明るく返した。その言葉に、熾月は微笑を浮かべて返事をする。確かに八雲さんの言うとおり、この二人の相性は良いのかもしれない。

「晴人くん、どうするの?」

『どうしようか』

 真面目な声で聞いてきたふぁいんに、合図を返す。時間はあるからと今は和やかな雰囲気で会話しているが、どうすれば暴走を止められるのか。考えてもいい案は思い浮かばなかった。回避しなければいけない死の危機を、回避する方法がわからない。

「あら、みなさんお早いですね?」

 食堂の扉が静かに開く。みんなが悩んでいるところに、樹さんがやってきた。深刻そうな表情に気付いたのか、彼女は黙って俺たちの傍に腰を下ろす。

「晴人さん、事情を」

「ああ、熾月の魔法が暴走するかもしれない。それも、前よりも大きな規模で」

「……なるほど。困りましたね」

「困りましたね、か」

 前は樹さんのおかげでどうにか事なきを得たが、今回も同じように頼ることは難しそうだ。それでも一応、尋ねてみる。

「前の方法を応用して、どうにかできないかな?」

「そう、ですね……ええと……」

 樹さんが考えていると、再び扉が開いた。現れたのは当然、最後の一人だ。

「ふむ。何かあったのかい?」

「はい。総力をあげて、解決しなければならない問題が発生しました」

 沢登さんには樹さんが事情を説明する。説明を終えたところで、彼は一度だけ深く頷いてみせた。視線をテーブルの一点に停止させて、何かを考えている様子だ。

 沢登さんにはあとで尋ねるとして、俺は先に樹さんに声をかけた。

「樹さん、どうかな?」

「可能といえば、可能、です……けれど」

「本当ですか!」

「しかし、その様子では、いい案ではなさそうですわね?」

 熾月が樹さんを見て、隣の瑠那もそれに続く。八雲さんは沢登さんに声をかけられて、二人で何かを話しているようだった。

「熾月の暴走だけなら、前と同じように止めることは可能だと思うの。時間があるなら、計算して、多分。でも、そうしたら、晴人さんが死にます」

「命を懸ければ止められる、か」

「はい。懸けるなんて言いませんよね?」

「それは……」

 それで樹さんが助かるなら。樹さんだけでなく、他のみんなも救えるなら。少なくとも俺一人の犠牲で済むのなら、樹さん以外のみんなが死ぬ末来よりはいい。そう考える気持ちは確かにあった。

 三人の視線が俺に向く。どう答えるべきか迷っていたところに、後ろからふぁいんが声をかけてきた。

「晴人くん、晴人くん。それ、私が困るなあ」

『困る?』

 幸い、すぐに答えは求められていないようだ。沢登さんと八雲さんの会話もまだ続いている。俺は合図を返して、ふぁいんに尋ねた。

「そうだよ。ゴーストの魔法がどうして発動したか、覚えてるよね? あいにくだけど私は、というか美晴はね、多世界解釈は信じてないの。世界はひとつ、晴人くんも一人。これ、どういうことかわかるよね?」

『まあ、わかるけど』

 妙に気迫のこもったふぁいんの解説に、俺は少し気圧されながらも、表情には出さないようにして返事をする。

「つまり、だよ。ここで晴人くんが美晴を守って死にます。すると、愛の力でゴーストの魔法が発動します。私は晴人くんを守るために、また過去に戻ります。わかった?」

『やり直しってわけか』

「多分ね。晴人くんが死ぬ度に、私は生まれるのです」

『記憶は?』

「そのままに決まってるじゃない。私、忘れっぽくないよ?」

『それを利用すれば、未然に回避できるんじゃないか?』

「えー。だって晴人くん、すぐに信じてくれないでしょ? もう一回はやだ。責任持って今の晴人くんが解決してください。死なない方法で」

『無茶を言ってくれるよな』

 そんなふぁいんに、つい苦笑を浮かべてしまう。樹さんたちが怪訝そうな目で見ていたので、俺は彼女たちの方をはっきり見て、笑顔で言った。

「あいにく、自己犠牲は好きじゃないんだ。みんなが助かる方法を考えさせてもらう」

「ええ、そうしましょう」

「はい」

「それでこそお兄ちゃんですわ」

 樹さん、熾月、瑠那の三人も笑顔を返す。雰囲気は和やかになったが、具体的な策が思いついていないのもまた事実。雰囲気だけでは何も解決しないのだ。

「話は終わったようだね。それじゃ、僕から一つ、提案をさせてもらおう」

 沢登さんが言った。どうやら俺たちよりも先に、二人の話は終わっていたらしい。

「僕たちで止められないのなら、彼女の魔力の受け皿を別に用意すればいい。ここは魔法研究施設だ。探せば何かがあるかもしれない」

「不確実な策ですが、時間に余裕はあります。どうでしょう?」

「そうですね。セキュリティのように、何かが隠されているかもしれませんし」

「私も賛成です」

「がんばって探します」

「了解ですわ」

 全員の意見が一致して、俺たちの行動は決まった。カレーライスを朝食に、栄養補給を済ませてから、熾月の魔法暴走を止めるための行動が開始された。


一月三十日 午前十時二十二分 研究棟二階 資料室


 行動を開始してから、数時間が経過していた。役割分担は以下の通り。俺と沢登さんは手分けして資料室の資料を漁り、研究施設についての情報が残されていないかを丹念に探る。樹さんと熾月は研究施設内を改めて探索して、使えそうなものがないか確認する。そして八雲さんは瑠那に、最悪の場合に備えての魔法指南を行っている。

 資料を漁り始めて少ししてから、俺たちの調べる対象は一つに絞られていた。実験棟の地下にある魔法人形。それについての資料が見つかったのだ。

「戦闘用の魔法人形。わざわざ隠すほどの研究だ、その力は相当なものだろう」

「それなら、相当の魔力も必要とするはずですね。普通の魔法使い十人分。いえ、それ以上の魔力を使う可能性も……」

「ああ。しかし、不確定な情報では漏れた魔法で何が起こるかわからない。もっと調べないとね」

 そうして長時間調べてはいるのだが、目ぼしい資料はほとんど残されていなかった。当然だ。わざわざ隠すほどの魔法人形。それに対する資料がそのまま残っていたら、隠した意味がない。それでも僅かに残っていたのは、研究者の研究に対する未練からくるものだろうと、同じ研究者である沢登さんが研究者心理を推測していた。

 資料によると、魔法人形の研究は事情によって中断を余儀なくされたらしい。その事情についてはわからなかったが、そのおかげで俺たちは必要な情報を得ることができた。

「必要とする魔力量……これなら」

「ああ。なんとか彼女の魔力を全て注げそうだね」

 受け皿は見つかった。しかし、問題は戦闘用の魔法人形の詳細が、全くわからないことだった。魔力を注いだとして、制御の仕方がわからなければ、どうなるのかは明白だ。熾月の魔法暴走は抑えられても、魔法人形が代わりに暴走するだけ。

 俺たちは得た情報を、八雲さんと瑠那に合流して伝えることにした。


一月三十日 午前十時三十五分 実験棟二階 実験室(特大)


「なるほど。お嬢様、間違えて注がないでくださいね」

「いくら私でも、そんな失敗はしませんわ」

 実験棟。特大の実験室で魔法の知識を伝えていた二人に、得た情報を伝えるとそんな反応が返ってきた。可能な限り練習を続けるという二人をおいて、どこか他に資料が残されていないか、研究棟に戻ろうとした矢先。

「あ、晴人さんたちもいらっしゃったのですね」

「こ、こんにちは」

 樹さんと熾月が実験棟にやってきた。情報を共有するために探す手間が省けた……一瞬そう思ったが、彼女たちの表情を見るとどうやらその時間はなさそうだった。樹さんはいつもどおりだが、明らかに熾月の様子がおかしい。

「……見ての通りです」

 樹さんの言葉を聞くまでもなく、俺たちは状況を理解していた。表情こそ申し訳なさそうではあるが、いつもどおりの熾月。彼女の体から、魔力がうっすらと漏れていた。目に見えてわかるものではないが、ある程度の魔法使いなら感覚的に気付ける凄い魔力。

「時間はない、か。樹さん、熾月を連れて地下に行こう。理由は歩きながら話すよ」

「わかりました。熾月、大丈夫?」

「は、はい。なんか今すぐに漏れそうですけど、意識ははっきりしてます」

「……漏れそう……ふむ……」

「八雲、何を妄想していますの?」

「答えてよろしいのですか、お嬢様?」

「さ、行きますわよ。八雲も急ぎなさい」

 八雲さんは平然とした様子で頷いて、俺たちはみんな揃って実験棟の地下――戦闘用の魔法人形のある場所へと向かうことになった。


一月三十日 午前十時四十二分 実験棟地下 旧実験室(中)


 旧実験室に眠る、双頭のゆきだるま。見た目こそ可愛らしいが、れっきとした戦闘用の魔法人形である。なぜこんなデザインにしたのか、資料は見つからなかったが、研究者の趣味であろうことは想像に難くない。

「これに、魔法を使えばいいんですか?」

「ああ、狙えるか?」

 熾月の質問に答えてから、こちらからも尋ねる。

「今なら大丈夫です。じゃあ、やりますね」

「頼むぞ。念のために、離れてやってくれ」

「了解です」

 魔法人形が動き出したら、どうなるかはわからない。魔法人形から離れたところに熾月が立ち、俺たちは彼女と人形から離れたところに待機する。

 熾月は魔法を――純粋で強大な魔力の塊を、一気に魔法人形に放つ。壁に当たれば施設が壊れかねない強力な魔法。魔力の奔流は全て、魔法人形に吸い込まれていく。それが一分ほど続いて、熾月の魔法は止まった。

「……ふう。落ち着きました」

「さて、ここからだね」

「はい」

 沢登さんの真面目な声に、頷きを返す。魔力の供給は十分。おそらく、あと数秒もすれば双頭のゆきだるまは動き出すはずだ。

 真っ黒な目に暗い光が宿り、全身からほのかに魔力を迸らせて、ゆきだるまが動く。

 二つの首を回し、周囲を確認するゆきだるま。それは俺たちの姿を確認したのか、ゆっくりとこちらに動いてくる。魔力の流れを見るに、攻撃の意思があるのは確実だ。

 いかにして止めるか。そう考えていたところで、樹さんが一歩前に出る。

「晴人さん、みなさん、ここは私に任せてください」

「樹さん?」

 ゆきだるまはまっすぐに、素早い動きで俺たちに突進してくる。その動きに樹さんは慌てることなく、魔法で長い剣を作り、近づいてくるゆきだるまの体に突き立てた。

 あの程度の攻撃で、戦闘用の魔法人形が止まるとは思えない。そう思っていたが……魔法の剣を体に突き立てられたゆきだるまは、軽く全身から魔力を放出して、沈黙した。

「樹さん、何をしたんだ?」

「弱点を突きました。こんなこともあろうかと、弱点を調べておいたの。一点しか見つかりませんでしたが、未完成のようで助かりました」

「手際、いいんだな」

「偶然ですよ」

「……それじゃ、後の処理は俺がやっておくよ。みんなは先に戻っててくれ」

 俺は僅かに考えてから、その言葉を口にした。意外な形ではあったが、ひとまずこれで死の危機は回避された。その可能性があるなら、今は彼女と二人きりになりたい。

「晴人さん一人で、ですか?」

「ああ。もう動かないみたいだし、一人でも大丈夫だ」

「わかりました。それじゃあ、念のために……」

 最後に樹さんは魔法人形の弱点を告げて、他のみんなに続くように旧実験室を出て行った。彼女の姿が見えなくなったところで、俺はゴーストに声をかける。

「ふぁいん、どうだ?」

「んー……うん、今度こそ、終わりみたいだよ」

 ふわりと浮かんで、俺の目の前に現れるふぁいん。ほんの僅かではあるが、彼女の体から魔法の光が流れ出ていた。

「そうか。なら、あとは救助を待つだけだな」

「だね。ゆっくりお別れの挨拶をしたいところだけど、あんまり時間なさそう。だから晴人くん、言いたいことだけ言わせてもらうね」

「わかった。好きにしてくれ」

 流れる光は魔法の光、彼女を――ゴーストの魔法を構成する魔力そのもの。流れ出す速度をちょっと見ただけでも、彼女の言葉が真実であることはわかる。

「こほん」

 わざわざ咳払いを口に出して、ちょっとだけ雰囲気を作るふぁいん。俺は黙って彼女の言葉を待つ。

「晴人くん。美晴のこと、よろしくね」

「ふぁいん……」

 ゴーストの少女は言いたいことだけ口にして、微笑み、そのまま消えていく。時間の計算を間違えたのか、ふぁいんが最後の言葉を口にしてから、俺たちは五秒ほど見つめ合っていた。

 最後の最後に決まらない彼女に、俺が苦笑すると、ふくれた顔が帰ってくる。さよならを言う時間はあった。しかし、俺たちがそれ以上の言葉を交わすことはなかった。

「頼まれたからには、勇気を出すしかないな」

 ふぁいんの消えた部屋の中、俺はそう呟いた。


二月三日 午後三時三十五分 王立魔法学園 中庭


 あの日、救助が来たのは、ふぁいんが消えてから数時間後のことだった。

 救助にやってきたのは、魔堂家と学園の合同捜索隊。彼らを乗せた、魔動式の無音ヘリコプター。魔法連絡塔を介して、研究施設に届いた連絡に八雲さんが返事をし、全員の無事を伝えた。

 瑠那と熾月は両手を合わせて喜び、八雲さんがそれを微笑ましく――頭の中では別のことを考えていそうだったが――見つめる。沢登さんは壁に寄りかかり、目を瞑って静かにしていたが、その顔にははっきりと笑みを浮かべていた。俺は樹さんの方を向いて、互いに笑顔を見せ合う。救助に対して、みんなが喜んでいた。

 三式の魔法を使える者は限られているし、雪原には雪が積もっていたので、ヘリコプターは実験棟の屋上、吹き抜けの上に着陸した。俺たちは三階から屋上に出て、壁に備え付けられたはしごを上り、ヘリコプターに乗り込んだ。

 そうして無事に魔法研究施設から脱出した俺たちだったが、日常に戻るまでには多少の時間を要した。行方不明の者たちが帰ってくれば、学園でも色々と尋ねられる。

 その中でも、第三研究所の研究者と会ったこと、魔堂家の一人娘と出会ったこと、助士課程を史上最速で卒業したあの八雲妹と出会ったことは、よく話題になった。

 彼ら彼女らがどんな人物であるのか、そのあたりは聞かれても深く話さないでおいた。尋ねてくる人の多くが抱いていたのは、憧れや羨望の気持ち。表情を見るだけでわかるくらいの、はっきりとした感情。真実であっても夢を壊したくはなかったし、瑠那にお兄ちゃんと呼ばせたことを、自ら口にするのは恥ずかしかった。

 その他にも、謝罪の意味も込めて魔堂家に招待されたり、熾月のお姉さんと話したり、色々と非日常があって、ようやくいつもの日常が戻ってきたのは三日が過ぎた頃だった。

 しかし、その日常ももうすぐ終わりを告げる。俺は学園の中庭で、呼び出した彼女の到着を待っていた。

 ――樹美晴。

 最初、彼女に興味を持ったのは、名前に同じ「晴」が入っていたからという、単純なものだった。それがきっかけで友人となり、仲良くなって、いつしかそれは恋心へと変化していた。いつどこでそうなったのか、思い出せないくらいの緩やかな変化。

 片想いの彼女に、告白する。俺にそう決意させてくれたのは、彼女の愛から生まれたゴーストの少女。

 彼女を思い出していたところに、彼女と同じ身長、同じ顔の少女が到着した。金髪ではなく黒髪。ショートストレートではなく、ロングストレートの髪。ゴーストの魔法でふぁいんを生み出した本人。

 樹木に囲まれた中庭。一本の樹の前で待っていた俺の前に、樹さんが現れる。

「晴人さん、お話ってなんですか?」

 ――大事な話があるんだ。あとで中庭に来てほしい。

 そう伝えてから、先に中庭に到着して十五分ほど。告白の言葉は昨日のうちに考えていたし、心の準備もできている。彼女がこれくらいの時間で到着するであろうことも、想定していたとおりだ。

 中庭には今、他に人はいない。告白するには絶好の機会である。念のため、他に誰かがやってくる様子がないかを確認してから、俺は彼女の名を呼ぶ。

「樹さん」

「はい」

「……いや、美晴さん」

「はい?」

 呼び直したことに樹さん――美晴さんは小首を傾げていた。ちょっと気が早いかもしれないと思ったが、とりあえず受け入れてはもらえたようだ。

 心臓がどくどくと脈打つ。たった一言。たった一言を口にするのに、緊張が凄い。

 だけど、ここまで来て迷っている時間はない。

「俺は美晴さんのことが好きだ」

 意を決して、言葉を口にする。

「だから、美晴さんがよければ、恋人になりたい」

 彼女の目をまっすぐに見て、最後まで言葉を口にした。

「好き……恋人……ですか」

 美晴さんの呟きに、俺ははっきりと頷く。そのまま俯いてしまいたい気持ちもあったが、どうにか堪えて彼女の目を見つめる。

「返事、聞かせてもらえるかな?」

「今すぐに、ですか?」

「いや、その、無理なら急がなくてもいいけど」

 でもできれば、どきどきしすぎて辛いから今すぐがいい。そう思ってはいたが、もちろん口には出さない。

「わかりました」

「ありがとう」

 反射的に返事をしてしまったが、これはこれで物凄くどきどきする。ふぁいんから、彼女の気持ちは知っている。反則みたいなことだけど、知ってしまっている。だけど、本人の口から聞くまでは信じられないから、告白はしないといけない。

 視線は美晴さんの口許に。ほんの数秒にも満たない時間。彼女の言葉が、待ち遠しかった。

「その、ですね。晴人さんの気持ちは、とても嬉しいです。私のことを好きになってくれたのは、とても嬉しいんです」

 美晴さんは俺の目を見つめたまま、言葉を続けていった。

「でも、私は晴人さんのことを、男の人として意識したことはなくて、男と女の関係、恋人同士になるというのは、お断りしたいの」

 言葉が出なかった。

「あ、でも、美晴さんって呼んでくれたのは嬉しかったから、これからはそう呼んでくれますか? ずっと、樹さん樹さんで、距離を感じていたんです」

 彼女の口から出たのは、断りの言葉。はっきりとした、断りの言葉だった。最後に両手を合わせて、名前で呼んでくれたことの喜びを伝えてくる。

「ええと、だめですか? やっぱり、こんな都合のいいことは……」

「い、いや。その、美晴さんと呼んでいいなら、是非そうさせてほしい」

 不安そうな彼女の顔を見て、俺はあわててそう言った。なるべくなら、美晴さんの悲しい顔は見たくない。

「ありがとうございます。では、これからも私たちはお友達ということで。ええと、いいですよね?」

「もちろん。でも、俺の気持ちは変わらないから」

「わかっています。私も少し考えてみようとは思いますけど……やっぱり、晴人さんのことを男としては見れないんですよね。晴人さんは大事な友人で、親友で、一緒にあの魔法研究施設を脱出した仲間ですから!」

「美晴さん、無意識に傷を抉るのはやめてほしい」

「あ、すみません。でも、事実ですから、期待させすぎるのは良くないかと……」

 彼女らしいといえば、彼女らしい反応である。いつもどおりの彼女に、断られたことへの落ち込みも、少しは和らぐというものだ。

「それで、晴人さん。話は終わりですか?」

「ああ。これ以上あると思うか?」

「思いませんね。ええと、せっかくだからこのまま一緒に帰る……のは、だめですよね、やっぱり?」

「そうしてくれると助かる」

「わかりました。じゃあ、先に帰りますね」

「ああ、また明日」

「はい。また明日」

 手を振って、中庭で美晴さんを見送る。俺と美晴さんは同じ寮に住んでいるから、何もなければ一緒に帰ることが多い。が、さすがに今日ばかりは、いつものように一緒に帰ることはできなかった。

 学園にいくつかある寮は、男女別ではなく年齢や実力別に分けられている。王立魔法学園には幅広い年代、実力の者が通うので、当然の措置である。敷地内にある寮もあれば、遠くにある寮もある。寮の種類も様々で、家族で暮らせる寮もあると聞く。全寮制ではないが、全員が入れるくらいの寮を擁する魔法学園。王立の名は伊達ではない。

 俺と美晴さんの通う寮は、学園から少し離れたところにある。徒歩で五分。中庭からだともっと時間はかかるが、とりあえず五分くらいはここで休んでいようと思う。

 幸いにも、中庭に人が来る気配はない。落ち込んだ顔も見られることはないから、傷ついた心を癒すにはちょうどいい。

「……断られたんだよな」

 改めて口にすると、実感が沸いてくる。決意して、告白して、断られた。

「両想い、のはずなんだよな」

 そうでなければゴーストの魔法は発動することなく、俺がふぁいんと出会うこともなかったはずだ。あのあと、ゴーストの魔法についても詳しく調べてみたが、ふぁいんの言葉に間違いはなかった。

 愛する者を守るために発動する、ゴーストの魔法。逆に言えば、愛する者を守るためでなければ、絶対に発動することはない魔法でもある。

「ふぁいんが嘘をついた、わけじゃないよな」

「嘘なんてつかないよ。晴人くん、失礼なこと言わないで!」

「でも、告白した結果は見ての通りだ」

「見ての通りって言われても……ええと」

「断られた」

「あー」

 と。何となく自然に会話をしていたが、その会話の相手を見て俺は目を見開く。

「ふぁいん、消えたんじゃなかったのか?」

 いつの間にか、俺の隣に現れていたゴーストの少女。なぜ彼女がここにいるのか、それはわからないが……そんなことはどうでもよかった。

「消えたよ? そしてまたやって来ました」

「尋ねたいことがある」

「何なりと」

「ふぁいんは、美晴さんのゴーストなんだよな」

「うん、美晴の……お。晴人くん、少しは進展した?」

 ふぁいんの質問には答えずに、俺は自分の質問を先に口にする。

「愛する者を守るために発動する……間違いないな?」

「そう。そして愛する者にしか見えない。それがこの私、ゴーストのふぁいんだよ」

「つまり、美晴さんは俺のことが好きだから、君は今ここにいるってことだ」

「その通り!」

 胸を張るふぁいん。彼女が嘘をついているとも思えないし、嘘をつく理由もない。つまり、彼女の言葉は真実である。

「そして俺も美晴さんのことが好きだ。愛している」

「うんうん。それで、告白したんだよね」

「ああ。だったらなんで、断られる?」

 核心を突く。ちょっと回りくどい質問になったが、事実の確認は重要だ。

「いやー、それがね。美晴ったら、自分の気持ちにとっても鈍いんだよね。晴人くんが死んでようやく、君を愛していることに気付くみたいなんだよ。遅いよね?」

「遅すぎるだろ。……ちょっと待て、今なんて言った?」

「晴人くんが死んだ」

「俺が、死んだのか」

 聞くべきことを聞いて冷静に考えてみると、ふぁいんがここにいる理由は一つしかないとすぐに気付く。ゴーストの魔法が発動した。愛する者を守るための、伝説の魔法。

「そう。それが過去の、今の晴人くんにとっては未来の出来事だよ」

 前にも聞いたような台詞を、ゴーストの少女は繰り返す。

「で、原因は?」

「愚問だよ、晴人くん。もちろん覚えてません!」

「前の記憶はあるのに、なんで肝心なところは覚えてないんだよ」

「そんなこと言われても、知らないものは覚えようがないよ。あ、でもね。一つだけ覚えてることはあるよ!」

「言ってみろ」

 どうせ大した情報ではないだろうと、俺はぶっきらぼうに尋ねてみる。

「今回死ぬのは、晴人くんだけです。美晴が見つけたときには死んでいました」

「手がかりは?」

「あると思う?」

「思わない」

 ふぁいんの質問に、即答する。前と同じく、死の危機が迫っている以外の手がかりはない状況。正直、かなり厳しい状況だが、やるしかない。

「じゃあ、さっさと回避するぞ。美晴さんに告白するためにもな」

「おー! ってあれ、私との再会は喜ばないの?」

「手がかりを持ってきてくれたら、喜んでやってもいいぞ」

「うう……うん。次はがんばるよ」

「次……まあ、今はいいか」

 次があるということは、また俺が死ぬということ。彼女にとっては過去、俺にとっての末来に。正直、次なんてない方がいいのだが、まずは今の問題を解決すること。今を生き延びないと、その次の機会は訪れない。

「行くぞ、ふぁいん!」

「うん、晴人くん!」

 死の危機を回避するため、俺たちは再び行動を開始する。このときの俺は、ふぁいんとの付き合いはまだ始まったばかりで、これから幾度となく彼女と行動を共にすることになるなんて、想像もしていなかった。

 ――が、それはまた別の話である。



登場人物

一ノ木晴人:いちのき はると

ふぁいん:ゴースト

魔堂瑠那:まどう るな

樹美晴:いつき みはる

降谷熾月:ふるや しづき

沢登鋭一郎:さわのぼり えいいちろう

八雲妹:やくも まい


前へ

まじかるゴースト目次へ
夕暮れの冷風トップへ