まじかるゴースト


一月二十六日 午前二時二十四分 研究棟三階 廊下


 慣れない環境で寝たせいか、変な時間に目が覚めてしまった。目が覚めれば尿意にも気付く。ということで、俺は三階のトイレへと一人で向かっていた。眠るときは部屋にいたふぁいんの姿はなかったが、彼女はゴーストだ。魔法ゆえに睡眠が必要ないなら、今のうちに色々と調べているのかもしれない。

 念のため周囲には気を配って廊下を歩く。特に魔法の気配には敏感に。ここは魔法研究施設。未探索の場所に死に繋がる何かがあるとすれば、魔法に関するものだろう。

 行きは何事もなく、帰り道。トイレの前の階段を迂回したところで、強い魔法の気配を感じた。感知魔法は使っていないから、距離は近い。階段のすぐ下か、同じ階。これほどの魔力量、瑠那が部屋から出てきたのだろうか。

 誰かに見つかると変な誤解もされそうだが、俺は廊下を左に曲がって、女の子たちの部屋に向かう。浴室前で足を止めて、様子を確認。瑠那がいるのは左手前の部屋だから、ここからでも確認は可能だ。

 しかし、扉が開いている様子はなく、廊下を見ても瑠那の姿は確認できなかった。気付いたタイミングからすると、丁字路を曲がって階下や屋上へ抜けるのは難しい。彼女が早足で移動したなら話は別だが、それなら魔法の気配は遠ざかるはずだ。

 魔法の気配はそのまま。遠ざかる気配はなく、むしろ近づいているようにも感じられたので、俺はそのまま廊下を少し眺めていた。

 すると、廊下の奥から一人の女の子がそろそろと歩いてきた。

「熾月ちゃん?」

 強い魔法の気配は彼女から出ているようだった。これほどの魔力量を彼女はずっと抑えていたというのだろうか。隠し続けていた理由は一体……樹さんや、八雲さんの知る彼女の事情とはこのことなんだろうか。

 不思議なのは、ゆっくり歩く熾月ちゃんは何かを我慢しているように見えること。漏れ出す何かを抑えているような様子。これでもまだ、魔力を抑えている?

 熾月ちゃんが廊下の曲がり角に到達した。これ以上考えていても仕方がない。彼女が何かを企んでいるとも考えにくいし、直接本人に尋ねてみるとしよう。話してもらえるかどうかはわからないけれど。

「こんばんは、熾月ちゃん」

 一歩踏み出して、廊下を右に曲がろうとしていた熾月ちゃんに声をかける。

「こ、こんばんは。どうしたんですか、こんな時間に?」

「目が覚めちゃってね。ちょっとトイレに行ってたんだ。で、帰りに君を見かけたから声をかけてみたんだが、熾月ちゃんこそどうして?」

「あ、えっと、その、私は……」

 しどろもどろになる熾月ちゃん。答えに迷っているというより、言い訳を考えているような態度だけど、ここで畳み掛けるのは間違いだ。

「私も、と、トイレに」

「今、右に曲がろうとしてたように見えたけど?」

「あの……ずっと見てたんですか?」

 案外鋭い。熾月ちゃんは俺をじっと見つめて、答えを待っていた。ここで誤魔化しても意味がないので、俺は素直に答える。

「まあ、廊下を歩いてくるあたりから。ちょっと気配を感じてね」

「気配、ですか」

 魔法の、とはあえて言わなかったものの、彼女にはわかっているように見えた。

「一ノ木さん、ついて来てくれませんか? ここではちょっと、話しにくいので」

「ああ、いいけど……いいのか?」

 俺は廊下の先、樹さんと八雲さんの部屋を見る。どうせなら事情を知っている二人もいた方がいいのではないかと思ったのだが、彼女は首を横に振った。

「寝ているところを起こすのは悪いですよ。それに、起こしたところで……」

 最後の言葉は途中で途切れていた。が、俺は聞き返さずに、黙って彼女についていくことにした。まずは話を聞いてから。それからじゃないと考えるにも情報不足だ。


一月二十六日 午前三時〇分 実験棟二階 実験室(特大)


 熾月ちゃんが連れてきたのは、彼女が目を覚ましたという実験室だった。三階まで突き抜けた高い天井に、真っ白な壁。軽く魔力を込めた手で触れてみると、研究棟より高等な対魔法素材を使っているのがわかった。ガラスの先には測定室らしきものが見える。ガラスもおそらく、対魔法強化ガラスだろう。

「ここなら魔法を使っても危なくなさそうだな」

「そうですね。普通の魔力で、普通の魔法なら、外からも中からも安全です」

 普通の魔法じゃないなら話は別。実際に、瑠那のとてつもない魔力量に対しては、この部屋の対魔法素材などあってないようなもの。だからこそ転移魔法で、この中に飛ばされるような現象が起きたのだ。攻撃魔法であれば壁が破壊されていてもおかしくない。

 逆に言えば、彼女ほどの魔力量でなければ、この部屋は安全ということ。部屋の大きさからすると、ここは、飛行魔法や集団魔法の実験にでも使われていたのだろう。

「万が一でも、研究棟に被害は出ないか」

 実験棟と研究棟を繋ぐ通路にも、対魔法素材は使われている。特に扉はどちらも廊下側に開く両開きで、最高級の対魔法素材が使われていた。うっかり両方とも開けっぱなしにでもしない限りは、強い魔法でも漏れ出すことはない。

「はい。ここなら、きっと気付かれないです」

 ふう、と一息。熾月ちゃんは大きく息をはいて、抑えていた魔力を解放した。彼女から流れ出す魔力は凄まじく、瑠那に匹敵するほどの魔力を肌に感じた。

 そしてその魔力は彼女と違い、魔法という形で流れ出していた。これほどの魔法、研究棟で使えば、魔法使いなら誰でも気付く。眠っていたとしても、凄まじい魔力の奔流に目が覚めてしまうほどの魔法。

「これは……もしかして」

「はい。魔法暴走症です。今はまだ、暴走していませんが」

 意識を失い魔力量の続く限り魔法を放ち続ける症状――魔法暴走症。大抵の魔力量なら適度に魔法を放つことで解消される、軽い病気の一種。だが、これほどの魔力量となれば適度に放つのも簡単な話ではない。

「でも、きっともう少しで……」

「これが君の、『危ないと思います』の理由か」

 熾月ちゃんは小さく頷いてみせた。

「いやー、これは放っておくと、この施設くらい吹っ飛んじゃうね」

「ふぁい――!」

 突然聞こえてきた声に思わず声をあげてしまい、慌てて口を押さえる。

「ふぁい?」

「ああ、その、ちょっと魔法にびっくりして」

 熾月ちゃんは首を傾げていたが、しつこく聞いてくることはなかった。俺は冷静になって、隣に現れていたふぁいんに合図を送る。部屋で彼女の話を聞いてから、「はい」「いいえ」「考え中」以外の合図を決めておいたから、簡単な会話なら合図だけで可能になっている。

『どうしてここに?』

 俺が送った合図に対して、ふぁいんは言葉を返す。

「こんなに凄い魔法、私が気付かないはずないでしょ?」

『いつからいた?』

 次の質問には、彼女からの答えは帰って来なかった。

「ごめん、私急ぐから。またね!」

『おい』

 と、思わず合図を返してしまったが、彼女には伝わっていないだろう。この状況で急ぐことってなんなんだと気になるけど、一旦彼女のことは忘れよう。いま解決すべきは、目の前の熾月ちゃんの問題だ。

 ふぁいんの言ったとおり、これほどの魔力量を持つ彼女の魔法が暴走したら、この程度の施設は吹っ飛んでしまう。それだけで俺たちの命が失われることはないにしても、魔法研究施設の機能が停止し、極寒の雪山に放り出されては凍死は避けられない。

 俺たちに迫っている死の危機。それがまさかこれほど早く訪れるとは思ってもいなかったが、知っていたからこそ慌てずに対処を考えることができる。

「ごめんなさい。地下に潜ろうとは思うんですけど」

「それだけじゃ時間稼ぎにもならないな」

「……ですよね」

「何か手を考える。まだ時間はあるな?」

「あ、はい、でも……」

 熾月ちゃんの声からは諦めの色がありありと伝わってくる。だが、俺はここで諦めるわけにはいかない。ふぁいんの話が本当なら、悲しむのは樹さんだ。

「普段はどうしてるんだ?」

「なるべく抑えずに、適度に放出してます。周期を見て、定期的に」

「今日もその周期なのか?」

「違います。多分、魔堂さんの魔法の影響で、狂ってしまったんだと思います。でも、こんなに早いなんて」

 魔法暴走症は抑えれば抑えるほど、暴走時の力が強くなると聞く。

「病院は?」

「昔行きましたけど、治療法はない、って」

 安全に発散する方法は普及していたはずだけど、基本的には軽い症状だからそれだけで解決する。諸々の事情もあって、完全に治す治療法が確立されていなくても不思議ではない。彼女の例は特例すぎる。

 その治療法を今すぐに考える、というのはどう考えても不可能だ。そもそも、俺は治療系の魔法は得意ではない。将来は魔法医療の分野での活躍を目指している樹さんや、他の人なら詳しい知識もあるかもしれないが、呼びに行くのは危険も伴う。

 この場で暴走した魔法を受ければ、凍死する前に魔法で命を失う可能性も高い。熾月ちゃんが一人でここに来たのも、おそらくそれを避けるため。

「晴人くん、戻ってきたよー」

 そこに再びふぁいんが現れた。扉をすり抜けて、まるで幽霊のように空をふわふわと飛ぶゴーストの少女。二度目だからさすがに今度は驚かない。

『何してたんだ?』

「ふふ、すぐにわかるよ」

 俺が顔に疑問を浮かべていると、通路の扉が勢いよく開いた。

「晴人さん! 幽霊、幽霊を見ませんでしたか!」

「樹さん?」

「ふ。これが私の実力だよ。美晴くらいなら呼べるんだから!」

 飛び込んできた樹さんに驚きながらも、俺はすかさず答える。

「見たけど、それよりも」

「やっぱりここには幽霊が……」

 言いかけて、樹さんは熾月ちゃんの様子に気付いたようだった。一瞬だけ驚いた表情を見せながらも、すぐに真剣な顔になって言葉を口にする。

「熾月の魔法が暴走しかけているんですね。晴人さん、協力をお願いします」

「協力? 樹さん、何か案でも?」

「もちろんです。こんなこともあろうかと、魔法理論を考えておいたの。熾月に話を聞いてすぐに、ね。魔法医療の分野での活躍を目指す以上、彼女の症状は放っておけませんから」

「本当、ですか?」

 嬉しそうに話す樹さんに、熾月ちゃんはやや苦しそうに聞いた。そろそろ暴走を抑えるのも限界なのだろう。俺は手早く樹さんに尋ねる。

「一つ問題はありますが、問題ありません。晴人さん、魔法理論をお教えしますね」

「俺でも使えるのか?」

「はい。問題は、魔法理論が複雑すぎて私には扱えないことだけ。対応力に限界はありますが、その代わりに魔力量は必要としません。今の熾月ちゃんの様子なら、対応できる範囲内です」

「わかった」

 俺は簡潔に答えて、樹さんから魔法理論を教わる。聞いたこともない魔法理論もあり、効果がいまいちわからない魔法理論ばかりだけど、理解する上では問題ない。使えさえすればいいのだから、今はただ樹さんを信じるのみだ。

 魔法理論を理解している間にも、熾月ちゃんの様子は変わっていた。瞳から光が失われて、放出する魔法はより強力なものに。既に若干暴走しかけているようだが、俺は構わずに、覚えた魔法理論に間違いがないか樹さんに確認する。

 彼女に教わった魔法は、暴走が極まったときに使うもの。どれをどう組み合わせてこんな効果になったのかはわからないが、一定以下の魔法をまとめて打ち消せる魔法。

 タイミングは一瞬――というわけではないが、遅くなると樹さんが怪我をする。

「……今だ!」

 慎重に魔力の流れを見て、熾月ちゃんの暴走が極まった瞬間。俺は教わった魔法を展開した。魔力量は必要としないと言ったけど、俺の少ない魔力量を全て使い切るほどの魔法だ。でも、足りないわけでないのなら問題はない。

 暴走して放たれる魔法を、少ない魔力で作られた魔法が打ち消していく。こうして見ると魔法理論の意味もなんとなくわかってくる。これは扱うには相当な実力を必要とする魔法だ。俺が扱いきれたのは偶然ではないけれど、一週間前の俺だったら失敗していた可能性が高い。

 そして数分後、俺の魔法が切れるのと時を同じくして、熾月ちゃんの暴走も収まった。意識を失ったままふらりと倒れる彼女を、樹さんが優しく抱き止める。

「ふう、無事に使えて良かったです。私の見立てどおりですね」

「やっぱり俺の魔力量を計算して?」

「ふふ、この状況ですから、当然ですよ? 晴人さん、少し待っていてくださいね。熾月に癒しの魔法をかけたら、あなたにもかけてさしあげます」

「ああ。ありがとう」

 癒しの魔法といっても、相当疲弊した二人を回復させるとなると、結構な魔力量が必要になる。けれど、樹さんの優れた魔力量なら心配はない。

「……ん」

 癒しの魔法で熾月ちゃんが目を覚ます。そして俺も、樹さんのおかげで自分で立ち上がれるくらいには回復した。残りは、眠ればだいぶ回復するだろう。

「私……お二人が止めて、くれたんですね?」

「ほとんど樹さんのおかげだけどな」

「そんなことないですよ。晴人さんがいなければ、机上の空論で終わっていました」

「ふふ、ありがとうございます。美晴さん、晴人さん」

 くすくすと笑いながら、熾月ちゃんが俺たちの名前を呼んだ。可愛らしい笑顔にやや見とれながら、名前を呼ばれたことにちょっとだけ緊張する。

「……あの、名前は嫌でしたか?」

「いや、構わないよ」

「晴人さんも、ちゃんを抜いてみたらいかがですか?」

「あ、そうですね。私もその方が嬉しいです」

 樹さんの提案に、熾月ちゃんはあっさり同意した。まあ、瑠那のことは最初から呼び捨てにしているし、彼女もいいならこれからはそう呼ぶことにしよう。

「わかった。よろしくな、熾月」

「はい。晴人さん」

 満面の笑みを浮かべる熾月。やっぱり、彼女は笑うととても可愛らしい。彼女の笑顔を曇らせていた魔法暴走症は抑えられたが、治ったわけではない。脱出してからも再び彼女の魔法が暴走することは何度もあるはずだ。

「これで仲良しですね。さあ、そろそろ戻りましょうか?」

「ああ。そうしよう」

「はい」

 先を歩く熾月に寄り添っていた樹さんが、一歩下がって俺のところにやってくる。

「あの、晴人さん。彼女の治療、脱出してからも協力してもらえますか?」

「樹さんがいいなら、いくらでも」

「ありがとうございます。私にどこまでできるかはわかりませんけど」

「でも、やるんだろ? なら最後まで付き合うさ。もっとも……」

「無事に帰らないと、ですね」

「ああ。全てはそこからだ」

 樹さんは笑顔を見せて、再び熾月のところに戻る。二人の話し声も聞こえてくるが、声が小さいので内容は聞きとれない。そして樹さんと入れ替わるように、ふぁいんが俺の隣にやってきた。

「さて、晴人くん」

「どうした?」

 少し速度を緩めて、小さな声で直接会話する。この距離なら樹さんや熾月にもよく聞こえないだろうし、何よりふぁいんの様子からそうすべきような気がした。

「死の危機が回避されました」

「だな」

「つまり、私の役目もおしまいです」

「……あ」

「だから、ね。お別れだよ、晴人くん」

「ふぁいん……」

 唐突なお別れ宣言に、思わず呟きが漏れる。確かに、彼女の――ゴーストの役目は、俺たちを死の危機から守ること。それが達成されれば、消えるのは当たり前だ。

「お別れだよ……お別れ……」

 エコーがかかるようでかかってない声。こんなときまでふぁいんはいつもどおりだ。

「……んー」

「ん?」

 しかしそれだけで、彼女の体が薄れていくようなことはなく、ふぁいんはいつもどおり空に浮かんでいる。ゴーストの魔法は一瞬で消えるようにできている、にしては彼女の様子も変だ。

「えっとね、晴人くん。なんかまだ消えないみたいだよ?」

「は?」

「だから、まだ解決してないんじゃないかな? 多分、他にもあるんだよ。美晴だけが生き残って、他のみんなが死んじゃう可能性が」

「そうか」

『お別れ気分を返せ』

 返事では納得しながらも、そんな合図を一緒に返しておく。ふぁいんは苦笑して、気まずくなったのか天井を突き抜けて消えてしまった。その後、部屋ですぐに再会することになったのだが……まあ、とりあえず一つの可能性は消えたことだし、よしとしよう。


一月二十六日 午前八時二十七分 研究棟一階 食堂


 翌朝。夜中に色々あったものの、それまでとそれ以降はゆっくり寝られたため、起床時間に大きな影響はなかった。魔法の使いすぎでやや魔力不足の感はあるが、二日連続であれほどの魔法を使うことでもなければ支障はない。日常生活は当然、探索も問題なくこなせるだろう。

「熾月、福神漬とってくれるか?」

「はい。どうぞ、晴人さん」

 朝は予告通りのカレーライス。昨晩と違い、今朝は容器入りの福神漬が添えられていたが、カレーライスそのものは同じだった。

「お二人とも、昨日何かありまして?」

 俺の隣に腰を下ろしていた瑠那が、軽い声で聞いてきた。

「ああ、えっと」

 俺は熾月の方を見る。仲良くなったことを隠す必要はないけれど、魔法暴走症については気軽に話すわけにはいかない。

「いいですよ。その、昨日みたいなことがあった以上、隠すのはよくないと思うので」

「そうか。昨日の深夜なんだけど、ちょっとした事件があってな」

 熾月の許可を得た俺は、そう前置きしてから昨日の出来事をかいつまんで話した。食堂には六人とも揃っており、熾月と樹さんは向かいの席、瑠那の隣には八雲さんが座っている。沢登さんは既に食事を終えていたが、少し離れた席に座り食堂に残っていた。

「なんですの? その、魔法暴走症とは?」

「お嬢様の今回のような失敗が、無意識に出るようなものです」

「なるほど。それは危なかったですわね」

 八雲さんの説明に大きく頷く瑠那。それで納得していいのかとも思ったが、本人がいいなら気にしないでおこう。

「ほう。やはり、といったところか」

「沢登さん、気付いていたんですか?」

「昨晩は妙な魔力の流れを感じたからね。彼女の態度から、可能性の一つとしては考えていた。もっとも、僕の専門ではないから、自信はなかったけれど」

「しかし、熾月さん。それなら私を頼っても良かったのですよ」

「考えはしました。でも、お姉ちゃんの大事な人ですから、それに」

 熾月はやや逡巡してから、言葉を続けた。

「あの状況、八雲さんにはどうにもできないと思ったんです。その手の分野は詳しくないんですよね?」

「まあ、それは確かに。一般的な知識とは違いますからね」

「本当に、樹さんのおかげだな」

「違いますよ。晴人さんのおかげです」

「二人のおかげですね」

 熾月の言葉に、俺と樹さんはやや照れてしまう。そんなこんなで食事の時間は終わり、片づけを終えてから、俺たちは今日の方針について話し合っていた。

 未探索の場所は実験棟と研究棟の地下。といっても、実験棟の屋上については沢登さんが目覚めた場所でもあり、シーツなどの洗濯物を干す場所でもあったので、八雲さんも朝に確認済みだ。

「瑠那も実験棟だったよな?」

「ええ。あまり見てはいませんけど……そうですね、地下同士を繋ぐ通路はありませんでしたわ」

「とすると、二手に分かれた方が良さそうだな」

「なら、こちらの地下は僕に任せてくれないか? 広い方は君たち五人に頼む」

「一人でいいんですか?」

 そう提案した沢登さんにやや驚いて、俺は尋ねる。

「地下は広くないだろう。僕だけでも十分だ」

「よろしいのではないでしょうか。ただ、一人では見落としの可能性も高いです。私としては是非とも、晴人さんにもこちらを担当してもらえると、非常に喜ばしいのですが」

「八雲さん?」

「男女でそれぞれ、ということだね。僕は構わないが、そちらには彼がいた方が何かと役に立つと思うよ。魔法使いとして、ね」

「それも一理ありますが、しかし、これ以上放置しておくと……」

「あの、八雲さん。俺、何かしましたか?」

 彼女の俺を見る目は出会ったときと変わらないが、言葉には明らかに棘がある。

「しましたね。私の趣味の問題ですけれど」

「趣味?」

「はい。私、女の子が好きなので、男はいない方がいいというだけの話です。あ、ご安心ください。私は見るのが好きなだけですから、手は出しませんよ」

「えっと、つまり、百合が好きってことですか?」

「はい」

 このメイドさんはこんな状況で何を告白しているのだろう。いや、まあ、確かに彼女の言ったように、一人では見落としの可能性が高いのは間違いないのだけど。

「晴人くん、晴人くん。それじゃ、あっちは私が見てくるよ。あとで情報交換」

『頼む』

 ふぁいんの言葉に俺は素早く合図を返す。

「八雲、こういうときくらい控えたらいかがですの?」

「こういうときだからこそ、控えるわけにはいかないのです。チャンスですから」

 どうやら瑠那は彼女の趣味については承知済みのようだ。樹さんはやや戸惑っていたようだが、熾月も平然としていたから、お姉さんからの情報で知っていたのだろう。

「……ふう。晴人さん」

 ため息一つ、こちらにやってきた瑠那は俺の耳元で囁く。

「樹さんのことは心配なさらずに。八雲はあれですが、私はそういうのに興味はありませんから」

「ああ、頼む」

 ふぁいんもいるし、瑠那もいる。とりあえずあっちは問題ないだろう。

「ふむ。譲る気はないようだね。まあ、君もいいならこれ以上は何も言うまい。魔法が必要でも、急ぐことはないだろうしね」

 何はともあれ、話し合いはこれで終了。ほぼ八雲さんの趣味により、二手に分かれての探索が決まった。


登場人物

一ノ木晴人:いちのき はると

ふぁいん:ゴースト

魔堂瑠那:まどう るな

樹美晴:いつき みはる

降谷熾月:ふるや しづき

沢登鋭一郎:さわのぼり えいいちろう

八雲妹:やくも まい


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