五つの星の頂点 ほしぐも

第九話 温泉喫茶のほしぐも茶


 中央五角星の高い山々、深いが手入れされた森林。こんなに早くほしぐもにまた会うことになるなんて、俺たちの誰もが思っていなかっただろう。そして今回は、椿さんも一緒。五人の星頂が揃って訪れるのは、初めてだ。

 ほしぐもの居城に辿り着くと、今回も秋奈さんが一番で待っていた。と思ったら門で他の星頂の到着を待っていただけで、門の裏には椿さんが隠れていた。

 程無くして真冬さんも到着して、最後に小夏さんがやってくる。今回は招待状はないし、目的も目的だ。俺たちは門のところで合流して、揃ってほしぐもに会いにいくことにしていた。

 とはいえ、ノギさんはもう俺たちの存在に気付いていて、ほしぐもにも訪問の知らせは届いている。彼は優秀な側近だから、必ずそうする。それでも彼が姿を現さず、お帰りくださいと言いにこないということは、訪問そのものは歓迎されているようだ。

 緩やかな坂道を歩き、大きな城の扉を軽くノックする――までもなく、俺たちが到着する頃には中から扉が開けられて、中性的な魅力を感じるほしぐもの側近、ノギさんが姿を見せた。

「ようこそいらっしゃいました。ほしぐも様にお会いしたいのでしたら、少々お待ちいただけますか? 呼んで参ります」

「呼ぶ、って……」

 前と同じ部屋に案内されるかと思っていたが、どうやら違うらしい。ノギさんの歩く方向は前とは別の方向で、細い廊下に入っていく。ほしぐもが普段暮らしている部屋はそちらにあるということだろう。

 少々待っていると、ノギさんがほしぐもを連れて戻ってきた。とてとてと歩く可愛らしい女の子だが、あれでも俺たちより一つ年上。それに今回は、遊びにきたのではない。

「今日は椿も一緒なのですね。みんな揃って嬉しいです」

 先を歩いていたノギさんは廊下を抜けたところで足を止めて、その場に控えている。ほしぐもだけがさらにこちらに歩いてきて、俺たちの前で可憐な笑顔を見せる。

「今日はほしぐも様に聞きたいことがあってきました。よろしいですか?」

「よろしくありません。そんなかしこまった態度で、彼女たちみたいに親しげに話してくれないと怒りますよ? ――はっ、それとも、聞きたいこととはもしや」

「……年上なんですよね?」

「あ、そうでした。それだけなら怒らないであげます」

 にっこりと可愛らしいほしぐもの表情。緊張感を包み込む優しさに気を抜きそうになるが、これから聞くことは俺にとってとても大事なこと。緊張と覚悟は消しようがない。ほしぐもは姉上のことを知っていて、もし……もし姉上が、生きていないとしたら。

「ふふ、用件はわかっていますよ。そうですね……まずは枯葉の緊張を解くために、落葉に会いますか?」

「……は? あの、今なんて」

「花咲落葉はここにいます。もちろん、生きていますよ。色々と事情は複雑なのですが、説明するならお姉様も一緒の方が安心できるでしょう?」

 いきなりの予想外の言葉に、俺は驚いて言葉が継げない。思考も回らないが、ただその言葉の意味は理解できる。姉上は生きていて、ここにいる。ほしぐもの居城に姉上がいる。

「ところで椿。あなたは……」

「浅海のことなら、何度か手紙を受け取った頃から受け入れています。今は彼を優先してあげてください」

 駆け出しそうになる気持ちを抑えたのは、ほしぐもと椿さんの会話だった。そうだ。ほしぐもは姉上が生きていると言った。姉上と一緒に消えた榛雷斗や、椿さんの幼馴染み浮貝浅海。二人の名前は口にせず、姉上だけの名前を告げて。

 それが意味することを、ようやく俺の思考も追いついて理解する。

「では、こちらです」

 踵を返したほしぐもに、秋奈さんたちがついていく。少しして椿さんが振り向いて、動きの遅れている俺を促す。彼女の微笑みに小さく頷くと、俺もほしぐもの後ろを歩き出した。

 ほしぐものやってきた廊下から、左に曲がって別の廊下をまっすぐに進む。その先の小さな扉の前で、ほしぐもは立ち止まった。ノギさんが扉を開けて、ほしぐもに促された俺が先頭で部屋に入る。

 大きく豪華なベッドの上、仰向けになって眠っているのは――間違いない。

「――姉上」

 三年経って成長した寝顔。けれど髪は見覚えのある長さで、体は布団で見えないけれどきっと成長しているのだろう。俺がそうだったように、姉上だって大人になっている。

 星頂部屋と同じくらいに広い部屋。部屋には物が殆どなく、姉上の眠るベッドが一番大きな家具だ。私物だって当然ないし、姉上がいるけど姉上の部屋という感じはしない。

「落葉。またお昼寝ですか?」

「……んー?」

 むくりと起き上がって、姉上が目をこすっていた。そういえば、今はそれくらいの時間だったか。姉上は昔からよく昼寝をしていた。そしてそれを起こすのは、俺の役目だった。遊びたいから起こすことも幼い頃にはよくあったと思い出す。

「……ん」

「……姉上」

 そして姉上の視線が、俺の顔を捉えた。反射的に俺は姉上を呼ぶ。

「枯葉? ほしぐも、聞いてないんだけど……」

「話してませんから。落葉をびっくりさせようと思いまして」

「……びっくり……枯葉、見ない間にいつの間にそんなたくさんの女の子を」

「いや、違うからね姉上。彼女たちは俺と同じ……ええと、星頂、で」

 少し言葉に詰まる。俺はあくまでも姉上の代わりの星頂。姉上の前で、自分が星頂であると言葉にするのは、少し抵抗があった。姉上には遠く及ばない、力の弱い星頂なのに。

「ああ、そう。それよりあんたが今の星頂なんだから、もうちょっと自信を持ちなさい」

 誤解が解けた姉上は、小さく首を傾げて勝気な笑みを浮かべた。いつもの姉上の、見慣れた姉上の笑顔。三年ぶりに見た、姉上の笑顔。涙は出ない。ただ、言葉も出なかった。

「で、説明は?」

「まだ何も。まずは落葉に会わせました」

「そう。じゃ、着替えるから待ってて。……枯葉も大きくなったけど、ま、いっか」

 ほしぐもと話しながら寝巻の上を脱ぎ始め、そのままベッドを降りて下も全部脱ごうとした姉上に、俺は慌てて口を開く。

「いや、よくないから」

「あんたも気にする年頃になったのね。がんばれ」

 俺が視線を逸らしたり出て行ったりするのも待たずに、姉上は笑顔で着替えを再開した。このあたりも変わっていないのだが、姉上は変わらなくても俺は変わっている。三年前より背は伸びたけど、胸や腰の感じは殆ど変わっていない姉上の裸に、少し気恥ずかしさを覚えながらも俺は黙ってその場に残っていた。久々だからつい反応してしまっただけで、これも見慣れた光景なのだ。

「よっと。着替え完了。三年経って成長したあたしの体はどう?」

「成長? 確かに背は伸びたけど」

「うん。胸は成長してないって言いたいのね。いいじゃない枯葉。だって確かあんた」

「それより姉上。それとほしぐも様。聞きたいことに答えてください」

 姉上の口から恥ずかしいことを暴露されそうだったので、俺は慌てて遮る。

「その前に、あなたたちの雲を払います。記憶の雲――雲払いを」

 微笑む姉上の表情も気になったが、それ以上に大事な言葉をほしぐもは口にした。

「記憶の封印はこのほしぐもの力。綺麗に払えるのも私だけ。……では」

 ほしぐもが特別に何かをした様子はなかった。ただ言葉を口にして、俺と椿さんに視線をちょっと向けただけ。それさえも動作としては必要なものではないのかもしれない。

「あんたなら思い出せば大体理解できるはずよ。あの日、何が起きたのか」

「思い出す……」

 姉上に促されるまま思い出してみる。すると、雲に覆われていた記憶はどこに雲があったのかもわからないほど、はっきり、鮮明に思い出せた。あの日に起きた――全てを。

 姉上と榛雷斗。月の輝く夜、暗闇の中に動く人のような存在。二人が戦っていた敵。当時の俺には――もしかすると今の俺にも――姿は捉えられない、強敵。

 苦戦する姉上。そんな姉上の姿を見たのは、あのときが初めてだった。榛雷斗は姉上をサポートして、だけど彼の力はそんなに強くない。ただ盾になるのが精一杯で、けれどその隙があれば姉上には十分だった。

 刀を鍛えるときにしか見られない、姉上の煌く髪。榛雷斗の作った隙に、姉上は星頂の力を全力で込めた一撃を敵に放った。敵の動きが止まり、その姿も俺の目に映る。幼女のような姿の、ほしぐもと同じくらいの女の子。

 戦いは終わった、のだろうか。倒れた敵は気が付いたら消えていて、逃げたのか消滅したのか俺の目にはわからなかった。それよりもはっきりと、目に焼き付いた光景のせいで。

 姉上が榛雷斗の体を抱いていた。倒れて、動けなくなって、深い傷を負った彼を。

「……落葉。ほしぐもを……頼む」

「任せなさい、雷斗。……といっても、今の私じゃ、守ることもできないと思うけど」

 苦笑する姉上に、榛雷斗は微笑む。それから再び口を開きかけたが、出た言葉は最後まで続かなかった。

「一緒に、見てくれるだけで……」

「……そう。ごめんね、枯葉。少しだけ……ううん、少しじゃないかもしれないけど、あんたより優先しなきゃいけないことができちゃった。星頂の力も、かなり無茶して使いすぎちゃったし……あたしもまだまだね」

 榛雷斗は死んだ。姉上の反応から、言葉から、俺もそれを理解する。

「姉上。一体何が……」

「あんたにはまだ早い。今のあんたは、巻き込めない。傷は与えたけど、倒せなかった。あたしもあんたも、準備をしないと……それに、頼まれちゃったし」

 そして姉上は姿を消した。俺によくわからない言葉を残して。ただ、その記憶もついさっきまで思い出せなかった。巻き込めないという姉上の言葉が示すように、俺はそれ以来、そのことに巻き込まれることはなかったのだろう。覚えていないから、調べることもせず。

 雲に覆われていた記憶を全て思い出した俺は、椿さんの顔を見る。

「私は少しだけです。浅海が死んだことを、そちらのノギさんに伝えられたこと。事故と伝えられていましたが、星内で起こる事故など……」

「それについて、やはり質問されてしまいましたので……後に、ほしぐも様の判断で記憶の雲に覆わせていただきました」

 ノギさんが答える。調べられては困る何かがあったから、記憶の雲で覆われた。

「ほしぐもは、なんで俺たちにそんなことを?」

「あなたたちだけではありませんよ。これについては、他の目撃者にも記憶の雲をかけています。もっとも、目撃されるような事態はなるべく避けていましたが……」

 ほしぐもはそこで言葉を止めた。そして姉上の方を見て、笑顔で続ける。

「続きは場所を移しましょう。ほしぐもの温泉喫茶で、ゆっくりと。みなさんがあめとゆきに勝ったご褒美もあげなくては」

 彼女の言葉には優しさを感じる。それと、少しの不安。気のせいかもしれないが、気のせいじゃないかもしれない。俺たちはほしぐもの言葉に従って、場所を移すことにした。

 その温泉喫茶は、ほしぐもの居城の近くにあった。一見するとただの林にしか見えないところの中心に、小さな建物。林の中でも目立たない、素朴で落ち着いた外観。温泉の傍らに喫茶店。喫茶店の傍らに温泉。二つのくつろぎが手を繋いで、独特な高級感を生んでいる。

 中に入ると、出迎えたのは二人の少女だった。レインコートに毛糸、スレンダーな女の子と小さな女の子。外観と同じく素朴で落ち着いた内装の中で際立つ、特徴的な服装の少女たち。

「……きた」

「きた?」

「君たち、なんでここに」

 驚いて構えかけた俺たちに、あめとゆきはそっと無言でほしぐもを見る。

「二人は私の協力者です。お母様――とこしえの生み出した、私とともに星史子を消失させるための。部下ではないので、勝手に動いていたようですが、みなさんの力を確かめるのは私も否定するものではありません」

 ほしぐもが言うと、ゆきが楽しそうな顔を浮かべた。あめは俺たちを見て、小さな笑顔。

「もう敵ではないのか?」

 あめとゆきは頷いて、ほしぐもも頷いた。事情はまだ全然わからないが、今はそれが確認できただけでいい。姉上も笑顔でいたから、間違いない。

 ほしぐもはカウンターの裏に回って、何かの容器にお湯を入れていた。ティーポットなのか急須なのか、微妙な容器だったが出てきたものはお茶。その容器も、絶妙に判断しにくい。

「ほしぐも茶です。本当は温泉で色々話したいところですが……枯葉が集中できないでしょうし」

「混浴なの?」

「いえ、別々ですが、ここには私たちしか入りませんから……混浴にもできます」

 秋奈さんの質問にほしぐもは即答した。最後にちょっとだけ俺の顔を見て。

 カウンター席やらテーブル席やら、各々が好きな場所に腰を下ろして話を聞く。カウンター裏にはほしぐもと、側近のノギさん。星頂の五人はカウンターに座って、姉上はあめとゆきと一緒にテーブル席についていた。

「まずは発端からお話ししましょう」

 彼女自身もほしぐも茶に口をつけながら、ほしぐもは語り始める。

「私のお母様、とこしえがほしぐもを生み出す際に、共に生まれる生命体があります。それが星史子――彼女を消失させるのは、私にとっての生まれながらの使命。人の身をもって生まれたほしぐもの力が溢れて、徐々に集まって生まれてしまうのが星史子なのです」

「それゆえに、星史子は『せいしご』とは正式に呼ばれません。とこしえ様が、意図して生まれたものではないのですから」

 どこから出したのか紙に示して、ノギさんが補足を加えた。漢字と平仮名、些細な違いだがそれが持つ意味は大きい。俺たちもほしぐも茶に口をつけて、次の言葉を待つ。

「あめとゆきは、お母様が星史子を倒すために生み出した存在です。私の補助をする協力者として。そして彼女たちと私は、星内の誰にも知られぬように星史子との戦いを続けていました。もし知られてしまった場合も……」

「記憶の雲、か」

 俺の呟きに、ほしぐもが頷く。

「これは星内で人が暮らすようになってから、ずっと続いてきたこと。記憶の雲により、その事実は記憶にも、記録にも残りません。しかし、私が未熟であるがゆえに起きてしまった事故がありました」

 椿さんがほしぐも茶から唇を離して、まっすぐにほしぐもの顔を見る。

「星外で起こる事故――星包まれ。星内で起きた稀有な事故として、それは処理されましたが……その原因は、星史子によるもの。星包まれとは別のものです。起こるはずのない、起こってはいけないことなのです。

 生まれた星史子は本能的に星内の人々を襲い、特別な力は持たずとも人を遥かに超えた存在ゆえに、圧倒的な力の差に勝てる人間はまずいません。特に力の強い星頂であった落葉でさえも、一時的に退けるのが精一杯だったのですから。もっとも、星史子は動くのにもかなりの力を消耗するため、その頻度は低いのですが……」

 ほしぐもは椿さんの視線に応えるように、彼女の目をまっすぐに見て続けた。

「それゆえに私にも見つけるのが困難で、星史子は星内の住民を一人、襲ったことに私が気付いたときには、もう手遅れでした。そして私は星史子の力を削ぐため、その襲われていた少年ごと――浮貝浅海を巻き添えに、星史子の力を削ぐよう、あめとゆきに命令しました」

 言葉が消える。そんな中、誰かがほしぐも茶をすする音が聞こえた。

「僅かに残った命で残した手紙」

 その声が聞こえたのは後ろから。ほしぐも茶を飲みながら、ゆきが告げる。

「それを私たちが、椿に届けた。勝手に決めたこと――けれど」

「私も認めました。その方がいいと思ったものですから。優しさと、利用と、どちらの意味でも」

 続けてあめとほしぐもが。俺たちは視線を戻して、続きに耳を傾ける。

「浮貝浅海の死。それがきっかけとなり、また別の出来事が起きることになったのです。未熟な私を助けるために、お父様が――榛雷斗がある星頂を頼りに、星史子を倒そうと。私もそのときは、それが最善であると考えていました。いえ……今でも、それが最善だったと思っています。そうしなければきっと、何人もの子供が命を落とすことになっていたでしょうから」

「それが、姉上……」

「そ。星内の住民と、あんたを守るために。あたしはこの力を使うことにした」

 それからほしぐもが語ってくれたのは、俺の思い出した記憶と違いないものだった。戦う相手の動きについては、加わった姉上の説明がより深かったが、わかった事実は今の俺にも到底敵う相手ではないということ。少なくとも、俺一人では。

「君の父上は、命を賭して……」

「はい。私と、お母様のために。でもそれ以上に、落葉の力が大きかったのです。彼女の鍛えた刀であれば、星史子も斬れる。本来は私やお母様の力――あめやゆきの力がなくては傷一つつけることも叶わない相手に、落葉は傷をつけた」

「だからって、それだけで挑んだのは無茶だったんだけどね。あたしの刀でも、星史子は倒せなかった。ほしぐもの力がなくちゃ、足りなかった」

「ですが、当時の私にはそこまでの力はありませんでした。彼女の刀に乗せられるだけの、安定した力は発揮できなかった」

「あめと、ゆきは?」

 小夏さんが口を開く。ほしぐも茶を口に含みながら、答えを待つ。

「二人の力は二人だけのもの。そういうことは、元々できないのです」

「私たちはあくまでも、協力者」

「星史子を倒すのは……ほしぐもの使命」

 ゆきが答え、あめが続く。小夏さんはほしぐも茶をカウンターに置いて、続きを促した。

「それから、私たちは備えました。落葉が与えた傷が治り、次に星史子が現れる日までに、今度こそ星史子を消失させるために。今の私の力なら、それだけの力があります」

「じゃ、私たちはもうお役御免?」

 真冬さんはにこりとしてそう言った。ほしぐも茶の入った容器を差し出して、おかわりを要求しながら、おそらく本当にそう思ってはいないだろう言葉を口にする。

「はい。あとは私に任せてください……と言ってもいいのですが」

 ほしぐも茶を容器に注ぎながら、ほしぐもは答える。その視線は姉上の方を向いていた。

「あいにく、あたしの回復が完璧じゃなくてね。ま、あめとゆきもいるから、どうにかなるとは思うんだけど……」

「思う?」

「どうにかなる」

 向かいに座るあめとゆきが、姉上の言葉を即座に否定した。しかしその声に不満の色はなく、ただ事実だけをはっきりさせるための言葉に感じる。

「ということで、あとは私たちだけでもどうにかなります。少々、あめとゆきが無理をするかもしれませんが」

 それも当然と言うように、あめとゆきは落ち着いていた。

「確実な自己犠牲なら、きらいじゃない」

 ゆきははっきりとそう言った。

「犠牲になるつもりはないけど、無理はする」

 あめの声は柔らかく、しかし言葉は断言する。

「でも二人は勝手に動いた。あんたたちの、今の星頂の力を確かめるために。発端は三年前。あんたは、このまま決着を任せてもいい?」

 姉上の言葉は俺に向けられていた。そして視線は、俺たち五人の星頂に向けられる。

「ここまで話してくれたってことは、やれる力があるってことだよね。でも、星頂の力だけじゃ星史子は斬れない。それはどうにもならないんじゃないかな?」

 戦いではいくら勝てるといっても、倒せないのでは意味がない。あめとゆきが協力したとしても、ほしぐもの力がなければいけないのなら、俺たちだけでは力が足りない。

「そう。あんたの刀じゃ斬れない。でも、あたしだって準備はしてたのよ。あたしが斬れなくても、あんたが斬れるように。――刀なら、あるわ」

「それはそれで……かなり無理を要求されてる気がするんだけど」

「無理と思うのは、あんたの心がそう思ってるだけ。あんたの力なら、無理じゃないわよ」

 姉上がそう言うのなら、無理じゃないのだろう。姉上の判断は、戦いに対する判断がどれだけ優れているのか、弟としてよく知っている。

「……斬るだけなら、ね」

「はは、それはそれで……でも、やりたいね」

 苦笑いを浮かべながらも、まっすぐに。俺は姉上の目を見て、はっきりとそう答えた。

 ほしぐも茶をすする音が響く。誰かの、あるいは誰もが。温泉喫茶でのほしぐも茶を添えた会話の一幕は、そこで幕を下ろしたのだった。

 その後、さらなる幕が別の場所で上がったというのだが、その場に俺はいなかったから詳しくは知らない。もちろん詳しく聞く勇気もなく、ただその会話が行われたのは、俺とノギさんが二人きりで男湯に入っている間だと伝え知るだけだ。

 中央五角星の温泉になんて、星頂であっても滅多に入る機会はない。どんな泉質なのかを楽しみにしていた私の前に現れたのは、特別に際立った特徴のない温かい泉だった。

 ぬめぬめで、さらさらで、きらきらで、小さな特徴が重なって混ざり合って、大きな特徴はどこにもない。だけどそれらは綺麗に調和していて、とても気持ちがいい。普通なら合わされば消えるような特徴も、ここでは見事に共存している。

 さすが中央五角星にある温泉。こんな微妙で絶妙で、珍妙さはないのに珍しい、五星湖の中心にある温泉の泉質は、一言では説明できない素晴らしいものだった。

「さて、枯葉くんは勝手に承諾してたけど……あれってさ」

「彼がとどめを刺すまで、私たちでどうにかしろってことね」

 大きくも小さくもない露天風呂の中、私が切り出すと真冬ちゃんが答えた。岩と木となんだかよくわからない色々で囲われた温泉。枯葉くんも反対側にいるかもしれないけど、質素な柵でも声は聞こえないようになっているらしい。

「いいとこだけ、ずるい」

「私は誰がとどめでも変わりませんけれど」

 小夏ちゃんと椿ちゃんも続く。私も誰がとどめでも変わらないのは同じだ。世界に刻む私の力は、とどめを刺すよりもとどめを刺すための隙を作る方に長けている。

「今回もあたしが戦えればよかったんだけど、ごめんね」

「それを言うなら、私がもっと立派なほしぐもなら、ですよ。過去も含めて、責められるべきは私です」

 私たちがそんな話を始めると、落葉さんとほしぐもちゃんが申し訳なさ全開で加わった。ちなみにあめとゆきは中のお風呂に入っていて、露天風呂にいるのは私たち六人だけだ。

「そうですよ。お詫びとして、枯葉くんの秘密を色々聞かせてもらいます」

 待ってましたと私は落葉さんに宣言する。きっかけはともかく、本人に聞いても答えてくれないことをお姉さんに色々聞くいい機会である。

「あたしも今の枯葉のことは詳しくないし、弟のために話せないこともあるけど、それでいいなら」

 落葉さんはそう言いつつも、胸を張って答えた。お姉さんとしてここにいる誰よりも枯葉くんに詳しいという、自信の表れだ。実際それは事実だし、だからこそ聞くのである。

 加われないほしぐもちゃんが困った顔をしているけれど、今はかわいそうだけど放っておこう。

「では枯葉くんの好みの女性について、早速お願いします」

 落葉さんに向き直って、真剣な顔で尋ねる。そこまで真剣に気になるものではないけれど、興味本位でもとても気になることには変わりない。

「あたし……みたいな? あるいはあたしよりも強い女の子かしら? ――なんて思ってはいないと思うけど、可愛い女の子や綺麗な女の子なら嫌いじゃないでしょうね」

 最初こそ疑問形だったものの、後半は冗談抜きの冷静な姉としての分析。

「言い切りますね」

 私が代表して質問しているけど、他のみんなも興味津々。といっても興味の度合いに差はあって……。真冬ちゃんは笑顔で隙あらば質問をぶつける準備万端。小夏ちゃんは無表情でほぼ無関心、でも耳はこっちを向いてたまにぴくぴく体が動く。椿ちゃんの微笑みは、私にも向けられているからちょっと興味の意味が違うかも。

 意外だったのは、ほしぐもちゃんも前のめりになって、わくわくした表情でこちらを見ていたこと。私たちより一個上、近い年頃の彼女にとっても興味はあるみたいだ。

「あたしは姉だからね。秋奈ちゃんは、枯葉のこと、好きなの?」

 答えて間もなく、質問が飛んできた。だけど答えは考えるまでもなく用意してある。

「さあ? わからないです。同じ星頂として、興味はありますけど……星頂同士の恋愛って、互いに理解もあって上手くいきそうですよね」

「そうね。立場や仕事に理解があるって、恋愛には大事なことかも」

「恋愛ですかあ……いいですねえ……」

 ほしぐもちゃんがのぼせているかのような声で言った。でもこれは話題にのぼせているだけで、露天風呂の熱でのぼせているわけではなさそう。

「恋愛して、結婚して、そして子作りをして……」

 小夏ちゃんが呟いて、さらに具体的に話は進む。想像する相手はもちろん、枯葉くん。

「恋愛はもしかするともう始まってるかもしれないね」

 くすりと真冬ちゃん。彼女の気持ちは本気か冗談かよくわからないから、恋敵なのかどうかわからない。それに何より、恋敵認定には私が恋をしているという事実が必要だ。

「そうですね……出会いは恋愛の始まり。星頂同士の恋……それはもう始まっていると言えるでしょうね」

 椿ちゃんも同意する。それを誰も否定しない。確かにその通りなのだから。

「枯葉くんはどんな子作りが好きですか?」

 ということで私が次の質問。この流れならこれしかない。

「あたしに聞かれても困るなあ。ま、枯葉も男の子だし、裸で襲えば喜ぶと思うけど」

「あの……恋愛はともかく、子作りはちょっと困るのですが……。星頂同士の子供が生まれると、星内に予想もできない影響が起きてしまうので……」

 困った顔のほしぐもちゃん。笑顔の落葉さんを見ると、彼女だけはこのことを知っていて話を広げたみたいだ。多分。

「それはつまり、ほしぐもちゃんなら問題ないってこと?」

「はい。私なら特に問題は……って、子作りなんてしませんよ!」

 笑顔で答えて、答えた内容に慌てて照れるほしぐもちゃん。可愛い。動揺したおかげで、少しだけ派手にお湯が撥ねる音がした。

「ま、それはそのときに考えるとして……ふふ、この柵の向こうで枯葉くんは何を考えてるのかな。美少女たちの一糸纏わぬ姿を想像して、一人で何をしてるのかな」

「ノギもいますが……」

 一応、といった感じでほしぐもちゃんが付け加える。

「ほしぐもちゃん、彼とは?」

「ないですね。ありえません」

 微笑みながら即答した。ほしぐもとほしぐもの側近。二人の間にそういう関係はあってはならないのか、それとも単に二人の好みの問題か、そのあたりまで深くは尋ねない。

「じゃあ、次です」

「いいわよ。いくらでも聞いて、あなたたちと枯葉が仲良くなれば、星史子との戦いもきっと楽になる。それに姉として、弟の恋愛は応援してあげなくちゃね」

「……そこまで何でも話してもいいんでしょうか?」

 心配そうに疑問を投げかけたほしぐもちゃんだったけど、

「でも、気にならない?」

 と私が訪ねて、他の三人も視線を向けると、黙って頷いたのだった。そんな私たちを楽しそうに眺める落葉さん。遠慮なく好奇心に従って、私たちは枯葉くんについて色々と尋ね続けるのである。恋愛未満。でも恋愛の始まりなんて、きっとそこからしか始まらないのだ。

「咄嗟に遮ってごまかしてましたけど、枯葉くんの胸の好みってやっぱり……」

 露天風呂での会話は楽しく続く。戦いはもうすぐだけど、戦いについての相談なんて今はしない。枯葉くんがいないのに、する必要がない。今できる会話。枯葉くんの秘密を、一部だけでも私たちみんなの秘密に。

 しばらくのちのこと。

 枯葉くんについて色々とお姉さんに聞いたことは、ちゃんと枯葉くんにも伝えておいた。勝手に聞くだけでは悪い気がしたから、事後承諾である。主に提案したのはほしぐもちゃん。

 聞いたことは包み隠さず話してあげるつもりだったけど、その準備は無駄に終わった。彼の気持ちを考えると当然の反応だと思う。でもやっぱり、ちょっとくらいは聞いてくれると思っていたから、私の彼に対する理解もまだまだだってことが証明されてしまった。

「これが恋の難しさ……」

 という独り言は、独り言として誰にも聞こえないように。半分は真実だと思う。


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