北は凍えて四季の花

第八章 扇は舞い、思い出を語る


      ―― 時、遡り ――

 これは四伝が稲穂に出会う少し前、湖囲高校に入学した稲穂が二人の先輩と会った日の話。場所は先輩たちには慣れた場所の旧校舎前、稲穂にとっては初めての場所の旧校舎前。

「南城稲穂……一文字珊瑚から話には聞いています」

 扇を片手に風そよぎ、炭石涼乃は入学したての一年生に挨拶をする。

「あたしは現場で何度か会ってるけど、涼乃先輩は滅多に出ないからね」

「白のやり方に忠実であれば、同じ『タギ』の者と合流する必要はありません」

 微笑む珊瑚に、涼乃はいたって冷静に答える。その様子だけで稲穂には、これが二人のいつもの調子なのだと判断できる。

「……白のやり方、ですか」

 稲穂の小さな声はきちんと先輩二人の耳にも届く。

「あなたも白だと聞いているけれど、間違いだった?」

「間違いではないですよ。けど、白とか黒とか、そういうのって……」

 最後までは言葉にされなかった稲穂の考えだが、珊瑚と涼乃にはそれでも全てが伝わる。

「北海道では単にやり方の違いでしかないけれど、他では激しく対立しているそうね」

「変ですよね。同じ『タギ』なのに」

 稲穂は素直に疑問を口にする。

「確かに変だよね。あたしがどっちにもついてないのは、別の理由だけどさ」

「それで、南城稲穂。あたなはどうしたいの?」

 微笑を浮かべながらも少し真剣な目になった珊瑚に、変わらぬ調子で後輩に尋ねる涼乃。

「決まってます」

 対して、稲穂は大きく笑って迷いなく答えた。

「誰が作ったのか知らないけれど、変なものは変じゃないものに戻す。それだけですよ」

 その笑顔が、後に生まれるイリスの始まり。稲穂の気持ちが初めて、自分以外の誰かに伝えられた瞬間だった。

      ―― 時、戻りて ――

 炭石涼乃は一文字珊瑚と二人、旧校舎の前に立っていた。旧校舎を背中に閉じた扇を片手に下ろして持っている涼乃と、斜め前の珊瑚が向き合っている。

「涼乃先輩」

「何かしら?」

 今は放課後。少し前まで毎日のように練習をしていた相手は、今日は来ない。彼らには彼らの新たな練習が必要で、特に黒の少年であった小麦との連係を覚えるのは重要事項である。

「暇なので練習に付き合ってくれませんか? あたし、動きたい!」

「一人でできるでしょう。私は無駄に動くつもりはないの」

「だから擬人を暗殺するように、最小限の動きで倒せる白にいる――わかってますよ。でもあたしだって、たまには強い相手と練習したい」

「一文字珊瑚。あなたよりも強い相手は、私ではないわ。彼女らが連係を覚えるまで待ちなさい。きっと、いい相手になるわ」

「あたしを買い被りすぎですよ。一年生も成長してるんです」

「一年と二年、先輩と後輩程度の成長であなたに追いつけるなら、南城稲穂、陸道四伝、狼四季花、南城小麦――彼女たちは『タギ』を今すぐにでも変えられるわね」

「だからー……ま、いいや。一人でやりますね」

 珊瑚はそれ以上の問答は諦めて、フラグメント・ウェポンから薙刀を生み出す。淡く輝く薙刀を両手に、珊瑚は一人で自分を高める練習を始めることにした。

      ―― 時、遡り ――

 火山天岩は初めて会った一人の少女に、完膚なきまでに叩きのめされていた。平伏すような姿勢は、全身に受けた強い攻撃で立てなくなっただけ。彼女の薙刀は的確かつ迅速に、天岩の体力も気力も削り尽くしていた。

 一文字珊瑚は楽しげな笑顔で、起き上がれない少年を優しく見下ろしていた。薙刀は刃先を天に向けて掲げられ、振り下ろされることなく静止している。

 もし実戦であれば、天に掲げた薙刀は天岩の頭に振り下ろされ、彼は意識を奪われ完全に平伏していた。そうしないのはこれが実戦ではなく、力を高めるための練習だからである。

「これは……参ったな」

 残っていた武器――フラグメント・ウェポンの爪――を消して、天岩は元気に立っている少女を見上げながら立ち上がる。

「俺も戦いには自信があったんだが、こうもしてやられるとは。……ほしいな。どうだ、黒に来ないか?」

 感心して勧誘する天岩に、珊瑚は笑顔で返す。

「ごめん、あたしは中立だから。その誘いには乗れないよ」

「アーティストでミュージシャン、それゆえの孤高な存在――憧れるな」

「そんな大層なものじゃないって。天岩だって十分、擬人相手に負けない実力なんだから」

 二人の出会いは一年生のとき。湖囲高校と東雲私立学園――入学前から中立の立場で活動していた珊瑚は、同じ『タギ』の人間と会うことは少ない。特に実力が彼女に近く、彼女が指南役をする必要のない相手――天岩のような者とは、特別な機会でもなければ会うことはない。

 今回は噂を聞いた天岩が黒の司令官、東雲私立学園の学園長、長園統〈ながそのすべる〉に会いたいと進言して、それが先輩の炭石涼乃に伝わり、彼女の計らいで夏休みに機会が作られたのである。

「一対一ならの話だ。多くの擬人を相手にするには、俺はもっと強くならねばならない。擬人を全て倒すには、それくらいの傑物にならねばな」

 穏やかな表情だが真剣に、天岩は自分の決意を自らより強い相手に伝える。

「へえ……あたしには想像もつかないな」

 全ての擬人を倒す、どれだけの擬人がいるかわからないのに、オータムという一体でも対処が困難な擬人もいるのに、そこまでのことは珊瑚にも想像できない。

「俺にはついてるぜ。だから――珊瑚! また機会は作ってくれるか?」

「あたしも暇じゃないけど、作れる機会なら作ってあげるよ。天岩が強くなってくれれば、あたしにもいい練習になるしね」

 それから多くの機会が訪れることにはならなかったが、この約束がきっかけで何度か機会が作られるようにはなった。その度に、珊瑚と天岩はフラグメント・ウェポンから武器を生み出し、戦いの練習をしたのである。

      ―― 時、戻りて ――

 火山天岩は昔話を後輩に語ってから、最後に一言付け加えた。

「それから結局、俺はまだ彼女に勝てていないわけだ。一文字珊瑚――彼女は強い」

「そこまで……見えませんでしたが」

 黒からイリスになり、放課後は会う機会も減った天岩と小麦。しかし同じ東雲私立学園に通う先輩と後輩であるから、授業の合間や昼休みにはいつでも会える。一年北組と三年南組の教室は近くはないが、階段二つの距離しかないのだ。

「小麦だって指南は受けたんだろ? それでも見えないか?」

「強いとは思いました。ただ……火山先輩のような気迫は感じられません」

「戦いは気迫で決まるものじゃないぜ。実力と、それを発揮する精神力や体力。確かに、彼女には気迫はあまり感じないが……」

 なのになぜあそこまで強くなれたのか、天岩にとっても興味深いものである。何度か手合わせをしてみて、珊瑚が戦いを好む戦闘狂の類ではないことはわかっている。

 だが深くは詮索しない。彼女の強さの理由を聞いたところで、自分が強くなれるわけではない。同じ理由、同じ環境、同じ武器で戦っているわけではないのだから。特に一つの大きな違いとしては、フラグメント・ウェポンの数というものがある。

 天岩の、そして殆どの『タギ』の人間が一つしか使えないフラグメント・ウェポン。左脚に一つだけ脚輪として装着している天岩と違い、珊瑚は右腕と右脚に一つずつ装着している。

 それが強さの秘訣なのだとしたら、一言で才能の違いと断言できてしまう。ならば、なおさら参考になるものではない。元々の素質が違えば、強くなる道も同じであるはずがない。

「ま、小麦も強くなりたいなら、一度本気でやり合ってみるんだな。今のお前じゃ、一人で挑んでも何もできないだろうがな」

 からかうようでいて、的確な分析。一対一では天岩にも及ばない小麦が、天岩よりも強い珊瑚に一対一で挑めばどうなるかは自明の理。

「そうですね。一応、あいつには言っています」

 だが一対一でなければ、本気でやり合う機会は作れる。その布石も、もう打たれていた。

 陸道四伝はグラウンドを走っている先輩の姿を見かけて、その速度に驚きながらも声をかけるタイミングを計っていた。トラックを一周、次に戻ってきたときに声をかけよう。追いかけられる速度ではないし、大声で呼んで急ぐ用事でもない。

 しなやかな肢体を躍動させて、トラックを走る先輩は一文字珊瑚。アーティストでミュージシャン、指南役として四伝がお世話になっている二年西組の先輩だ。

「一文字先輩!」

 トラックを一周して戻ってくる寸前、自分の姿が視界に入っているのを確認して四伝が名前を呼ぶ。

「ん? おー、四伝」

 珊瑚は足を止めて、小さく手を振って後輩の声に答える。

「まるでアスリートですね」

 息切れもしていない様子の珊瑚に、四伝は素直に思ったことを口にする。

「ただの部活少女さ。ま、並の部活少女ではないけどね」

 ジャージ姿の珊瑚は長くなると察したのか、話しながらもクールダウンする。『タギ』の人間として擬人と戦う彼女の身体能力は、並の部活少女のそれより上。練習で見せた薙刀の扱いから、四伝はその言葉を実感として理解している。

「薙刀部や弓道部もありましたよね」

「あー……そっちは苦手。ほら、あたしのは実戦的だから。綺麗な型にはまる動きじゃなくて、怪我をさせたり手加減しすぎたりしちゃう。反則はしないようにしてるけどさ」

「そうですか」

 いい話の流れだと、四伝はそのまま本題を切り出す。

「だったら、手加減しなくていい試合を、俺たちとやりませんか?」

「ふーん……。四伝、一ついい?」

 四伝は頷く。彼があえて省いた言葉を、珊瑚は省かない。

「怪我はするかもしれないよ? フラグメント・ウェポンでも、本気を出せば軽い打撲は与えられる。それでも、手加減なしでやっていい?」

「珊瑚さんならこう言うと思うから、『当然です』って答えておいて、と言われてます」

「四伝の答えは?」

 珊瑚の問いに、四伝は大きく息を吸って、苦笑いを浮かべながら答えた。

「一番怪我をする可能性が高いのは俺なので、あまり言いたくはないですけど……当然です」

「よし。じゃ、約束。場所は旧校舎で、時間は放課後。それでいい?」

「はい。すぐには無理ですけど、明後日なら小麦も放課後に間に合う時間割です」

 高校が違えば時間割も違う。北部地域と中部地域に離れていても、一方が一時間以上も早く終わる日であれば、放課後に旧校舎前に合流することは可能だ。

「明後日――木曜日ね。あたしも予定はないし問題ないよ。基本的に平日は、『タギ』を優先してるからね」

 こうして約束の日時は決まり、四伝たちはイリスとしての力を珊瑚との本気の練習で試すことになる。

 そして約束の日時。

 旧校舎前には陸道四伝、南城稲穂、南城小麦、狼四季花、一文字珊瑚の他に、炭石涼乃と火山天岩までもが揃っていた。涼乃は集まったところで旧校舎内からお気楽に出てきて、天岩は小麦と一緒のご到着である。

「火山天岩、あなたも見学に来たのね」

「まあな。珊瑚の本気はそうそう見られるものじゃない。俺一人で引き出しても、見えた瞬間に終わるぜ」

 湖囲高校と東雲私立学園の三年生。『タギ』の白と黒。こんな機会でもなければ滅多に会うことのない二人だが、立場が近いこともあり親しい様子で挨拶をする。

「私でも不意を衝いて行動不能まで持ち込むのは難しいわ。それを、一年生三人がやろうとしている」

 開いた扇で扇いだ風を身に受けながら、珊瑚の正面に対峙する三人に涼乃は視線を向ける。

「三人じゃなくて四人ですよ、涼乃先輩。私はここから見てるだけじゃないんです」

 会話に割り込んだのは、二人のすぐ傍で四伝、稲穂、小麦、珊瑚を見ていた四季花だ。彼女はフラグメント・ウェポンから武器を生み出してはいないが、戦いの準備は万端だ。

「そうだったわね。失礼したわ、狼四季花。あなたの才腕も、見せてもらいましょう」

 涼乃の微笑みに、四季花はそれよりも少しだけ大きな微笑みで応える。

 彼女らの視線の先――珊瑚は薙刀を両手に構えて牽制するように立っている。構えは万全、隙はなく、とても美しい立ち姿。今の彼女には、どんな不意討ちも通用しない。

「お兄ちゃん、小麦くん。準備はいい? 稲穂ちゃんも。――うん。じゃあ、これで」

 四季花の声は離れているので珊瑚には聞こえない。近い場所にいる四伝たちの声も、小声なので四季花にしか聞こえない。三人での連係に、遠くから全体を把握している四季花のサポートもあれば、連係はより深まる。

 とはいえ四季花が声を伝えるにも時間がかかる。声もなく互いを理解し、常に最善の連係を行うのが理想であり最終形であるが、今の彼らにはこれが最大限だ。

「行くぞ、四伝」

「ああ。小麦!」

 小麦がフラグメント・ウェポンから生み出した武器は、大剣ではなく棍棒。特化型におけるサブ・ウェポンの一つだ。四伝は右腕にガントレットを装着して、二人が前に出る。

「へえ……そう来るんだ」

 薙刀のリーチに対し、棍棒もガントレットもリーチは短い。しかし二人がかりで接近さえすれば、短い武器の方が小回りは利く。薙刀による攻撃を封じるには十分な状況だ。

 走ってくる二人に、珊瑚は大きく薙刀を振るって二人をまとめて攻撃する。しかし、二人を狙った大振りの一撃はわかりやすく、四伝はガントレットで受け、小麦は棍棒で受け、流して勢いを維持する。

 特に元々が盾からの派生である四伝の守りは硬く、小麦よりほんの少しだけ早く前に出る。

「お兄ちゃん!」

「……おっと」

 フラグメント・ウェポンを通して聞こえて四季花の声で、四伝は僅かに速度を落とす。ほんの僅かな差だが、足並みが乱れれば一対二の構図は崩れる。四伝と小麦は並んで珊瑚に接近し、徹底的に薙刀の攻撃を受け流すことに集中する。

 二人の後ろから接近するのは刺突剣を手にした稲穂。弓を使われたら狙われる位置だが、それを使わせる暇を前線の二人が与えない。

「なら、こんなのはどう? 四伝に見せたことはないから、驚くと思う」

 薙刀を止められ、弓を使うのを制限され、それでも珊瑚の態度には余裕があった。彼女は薙刀で四伝のガントレットを受け止めると、その握った手から出した何かを彼のガントレットに巻き付けていく。

「これは……糸?」

 四伝のガントレットに巻き付く糸は、細くて強固で簡単には解けない。ここで四伝が動きを制限されれば、珊瑚の動きを制限する者がいなくなる。

「小麦にも見せてないけど、わかるよね?」

「……ああ。四伝、少し我慢しろ」

 珊瑚のフラグメント・ウェポンの分岐型は特化型。小麦の分岐型も特化型。だから気付くのは四伝よりも少し早く、小麦は棍棒を消して大剣を生み出していた。

 素早く振り上げられた大剣は四伝のガントレットごと糸を断ち切り、四伝の腕は軽く上に弾かれる。その隙を狙って上段から振り下ろされた薙刀の一撃は、咄嗟に生み出した大盾で受け止める。

 大盾――中盾の先に生まれた新たな武器だが、珊瑚との練習でも見せているので彼女に驚きはない。もちろん、稲穂たちとも練習で確認済みだ。

「珊瑚さん、そのくらいは予想済みですよ!」

 後ろから声を響かせたのは、刺突剣を手に二人の間から接近した稲穂だった。

 珊瑚のフラグメント・ウェポンは二つ。一方のメイン・ウェポンとサブ・ウェポンは同時に使えないが、一つのメイン・ウェポンともう一つのサブ・ウェポンなら同時に使える。

「予想なら、あたしだって!」

 放たれる刺突剣に、珊瑚は断たれた糸を消して生み出した弓を回転させながら弾いて、突きの方向を逸らす。

「これはどう?」

「……予想してませんでした」

 一回きりとはいえあまりにも意外な弓の使い方に、稲穂は素直に白状する。

「それより、伝えてなかったんだ?」

「四伝くんと小麦にも経験を積んでもらいたくて」

 二人の少女は距離を保って微笑み合う。稲穂は珊瑚の糸を見たことがあり、どんな使い方をするのかも多少は知っていた。それを伝えることも彼女にはできたが、言葉にした理由で彼女は情報を伝えなかった。

 会話の間も四伝は大盾を構えていて、小麦はその裏で守られながら次の攻撃の準備をしている。いくら珊瑚が強いといっても、刺突剣を片手に構える稲穂もいる中で、大盾を弾き飛ばして隠れている二人をまとめて倒すほどの膂力はない。

「四季花ちゃんには話してるから、問題ないよ」

 その二人にかける声は、フラグメント・ウェポンを介したものではなく直接の声。

「そうしないと倒せない、そういうことか」

「みたいだね。ここまでは上出来かな?」

 答える小麦と四伝の声はフラグメント・ウェポンを介して。

「うん。次、お願い」

 今度は小声で、フラグメント・ウェポンからの声。稲穂の声を合図に、四伝は大盾を構えたまま前進して珊瑚との距離を詰めていく。

 大盾に守られた裏には、大剣を構える小麦。大きな守りと、大きな武器。

 対する珊瑚は薙刀を消して二人に接近し、片手に鉈を握って盾を足場に高く跳躍する。空中で投げられた鉈は小麦が大剣で受け止めたものの、次に構えられた弓から放たれる矢はとてもじゃないが大きな剣一つでは防ぎ切れない。

 だが、その矢が放たれることはなかった。弓を握る珊瑚の手を目がけて、稲穂の投げた短剣が珊瑚の行動を僅かだが遅らせている。

「ま、こうなるよね。――稲穂、それからどうする?」

「決まっています。正面から!」

 僅かに遅れたとはいえ矢は放たれる。大盾を頭上に持ち上げて、四伝と小麦は防戦一方で動けない。着地した珊瑚には距離をとられ、対峙するのは待ち構えていた稲穂一人。

 彼女の手に握られているのは小剣で、矢を放って役目を終えた弓が消える前に攻撃を加えようとする。だが、珊瑚はそのまま弓で小剣を受け止めて、壊させることで勢いを弱めた。

 追撃を加えようとする稲穂だったが、自身の一撃で壊れた弓が邪魔で接近を阻まれる。あえて消さないことでの時間稼ぎ。その間に珊瑚は再び薙刀を生み出して、守りの構えをとる稲穂に向かって前進した。

 しかし、稲穂は笑顔を見せる。

「こっちも――利用させてもらいましたよ!」

 壊れた弓で視界を少しばかり遮られた中、稲穂は小剣の代わりに刺突剣を生み出していた。

「武器を変えただけで、あたしに対応できないと思う?」

 自信を見せる珊瑚に、なおも稲穂は笑みを崩さない。

「思いません。でも、初めてなら――どうです?」

 凄まじい勢いで振るわれた珊瑚の薙刀に、稲穂の刺突は火炎を纏って襲いかかる。彼女のフラグメント・ウェポンの分岐型は枝分れ型。刺突剣から枝分かれして分岐した新たな武器――火炎刺突剣。これはまだ、珊瑚に見せたことのない武器だった。

 フラグメント・ウェポンの薙刀は木製ではない。火炎でも燃えることはないが、通常の刺突剣より遥かに広い攻撃範囲と、少し伸びた射程に珊瑚の追撃は止まる。

「それから、これも!」

 放り投げるようにして消した火炎刺突剣の代わりに、もう一度生み出した刺突剣。そこから放たれた一撃は、氷の粒を纏って襲いかかる。同じく見せたことのない、新たな武器――氷結刺突剣の一突き。

 狙いは珊瑚の足元。氷の粒が集まり、足と地面を凍らせて珊瑚の動きを止める。

「はは……あたしも知らないのを一気に二つも。稲穂、今日のために隠してたね? だったらあたしも……」

「珊瑚さんの使える武器は全て知っていますよ。四季花ちゃんから、四伝くんと小麦にもさっき伝え終わりました」

 糸のように不意を衝かれることはない。が、珊瑚は全く動揺を見せなかった。

「そっかそっか。じゃ、こうするしかない――ね!」

 足を止めている間に左右に分かれて、足並みをそろえて大剣とガントレットを武器に襲いかかる四伝と小麦に、氷結刺突剣から小剣に持ち替えた稲穂も同時に動き出す。

 三方からの同時攻撃、さらに戦いを遠くから見守る四季花からの指示もある。

 だが、一文字珊瑚にとってそれは関係なかった。まず、振り下ろされた大剣の一撃を紙一重でかわす。その大剣を盾とすることで、ガントレットによる拳のリーチの外に逃げる。そこに振り抜かれる小剣は薙刀で弾いて、すり抜けて接近した小麦の腹部に、体重を乗せた左の拳を叩き込む。

 頽れる姿を一瞥もせず、大剣を避けて接近してきた四伝には薙刀の柄を利用して、重い突きを胸部に与える。その反動を勢いとして、薙刀の刃先は稲穂の太ももを狙って振り回される。

 どの攻撃も、それだけで行動不能に陥るような一撃ではない。だが、至近距離でこれだけの隙を作れば、珊瑚にとっては十分だった。流れるように振るわれる薙刀の連撃を、もう四伝たちは回避できない。全てを防ぐこともできない。

「うわ……珊瑚さん、容赦ない」

「一文字珊瑚に本気を要求したのはあなたたちよ」

「ああ、珊瑚の強さは武器が多いからじゃない。フラグメント・ウェポンを二つ持っているから、強いんじゃない。ただ単純に強い女の子が、多くの武器を扱える――それだけだ」

 遠い四季花には何もできない。近くにいたところで、彼女のフラグメント・ウェポンは一途型で戦闘には向かず、そもそも戦闘の練習だってあまりしていないから、近付いてもできることはない。

 遠く視線の先で、四伝と稲穂と小麦の三人は、同時に地面に倒れた。中心に立つ珊瑚は笑顔で、無傷で勝利を宣言するように、薙刀の刃先を天に掲げていた。

「あはは、久しぶりに本気を出せたよ。少し痛かったかもしれないけど、本気の戦いなら動けなくなるまで続けないといけない。わかるね?」

 フラグメント・ウェポンは擬人を倒すための武器。人間相手には高い威力を発揮できる武器ではないが、あれだけの連撃を的確に、重く鋭く当てられれば、行動不能まで追い込むことは慣れた珊瑚には容易いことだ。

「そうね……ほら、起きなさいな」

 倒れたままの四伝の頬を、涼乃は扇でぺちぺちと叩く。伸ばした左腕はしなるように、割と強めのぺちぺちだ。ちなみに小麦は天岩が、稲穂は四季花が起こしている。

「あの……なんか、凄く痛いんですけど」

「大丈夫よ。痛みを感じない方がむしろ危ない……珊瑚がやりすぎていないか、確認をしたまでです」

 起き上がった四伝に、涼乃は平然と微笑む。稲穂や小麦もすぐに起き上がって、誰一人として大きな怪我はなく、珊瑚がやりすぎていないことは証明された。

「いや、それにしても……」

 強めに叩かれたのに、丈夫な扇だと四伝は思う。だが彼女が毎日持ち続けている扇なのだ、きっと特別で高級な扇なのだろうと、四伝は問うことはしなかった。

「で、どう? 稲穂としては」

「はい。これだけやれれば、イリスとしては……ふう」

 稲穂は太ももをさすりながら、珊瑚の問いに答える。イリスとして、本気の珊瑚との練習は上々の成果であった。彼女相手にこれだけできれば、擬人との戦い――オータムを相手にしてもイリスとして動ける。

 そう確信した稲穂は爽やかな笑顔で、珊瑚の問いに答えていた。


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