北は凍えて四季の花

第三章 白の少女と、黒の少年


 その日、四伝は今日の練習を終えて、見物に来ていた稲穂に声をかけられた。ちなみに最初は四季花も見物していたが、飽きたからと既に帰ってしまった。

「どう? そろそろフラグメント・ウェポンにも慣れた?」

「攻撃を受けるのには慣れたと思うよ」

 小盾を生み出して、珊瑚の繰り出す攻撃を全て盾で受け止めていく。単純かつ効果的な練習で、戦いで扱うには最低限必要な能力。これは二日目から始められたもので、三日目の今日には四伝もだいぶ上手に扱えるようにはなっていた。

「珊瑚さんから見ると?」

 今度は珊瑚に声をかける。今日も疲れた様子のない珊瑚は、四伝をちらりと見て答えた。

「戦いのセンスは悪くない。フラグメント・ウェポンを扱えるかどうかは、これから」

「……これから」

 四伝は呟く。フラグメント・ウェポン――分岐型武器。その真価を、彼はまだ知らない。

「小盾からどう分岐するか、それに……」

「いつ分岐するか、速度も気になりますね」

「二人とも、その」

 こうして二人が話をするのは初めてではない。初日こそ四伝はその場にいなかったが、二日目の会話は四伝のいる前で行われて、今日も同じだ。

「説明しなくても、そのうちわかるさ。そのために今日、稲穂を呼んだんだから」

「そういうこと。四伝くん、これから私に付き合ってもらうよ。擬人探し――まだ時間は余裕あるよね?」

 昨日と同じく、説明はしてくれない。けれど、答えは大きく違うものだった。

「これから? というか、もう?」

 意外な答えにやや慌てる四伝だったが、それ以上に気になる言葉に期待は増していく。

「ま、そうしてもらわないと、あたしにもやれることがないから。せめて、擬人に攻撃できる武器を扱えるようになってくれないと、ね」

「戦いを経験することで、新たな武器に、分岐する?」

 ゲームの世界で、経験値を溜めたら、新たな能力を得られるように。

「そんな簡単な仕組みじゃないよ。けど、そこまで複雑なものでもない」

 四伝の言葉に、珊瑚は曖昧な言葉で返す。やはり答えは教えてくれないらしい。

「で、時間は?」

「もちろん。南城さんのためなら、なくても作るよ」

「私のためってわけじゃないんだけど……ううん、私のためでもあるかな」

 稲穂は少し困った表情を見せてから、悩みながらも納得した顔になって言葉を続ける。

「『タギ』に人が増えるなら、あたしのためにもなるね。……だけど」

 珊瑚は微笑むだけで、続きは口にしない。四伝は続きを聞いてはいけないと直感で理解したので、微笑みの意味も言葉の続きも確かめようとはしない。

 稲穂は少し気になっている様子を見せていたが、積極的に尋ねることはしなかった。

 湖囲高校のある北凍市の中部地域。今日はその周辺を探してみるという。

 毎日探しているのかな、という四伝の問いに、いつもは寄り道しながら少し探すだけ、と稲穂は答える。それが『タギ』にとっての基本だから、と。

 常に擬人を意識すること、擬人の存在に早く気付くこと、擬人に人が襲われる前に、鼓動を吸収される前に。

「四伝くん」

「何?」

 歩きながら、名前を呼ばれて。四伝が顔を向けると、稲穂の横顔は彼の方を向いていて、少しどきどきしながら短い返事をする。

「もし夏――サマーだったら、君は隠れていて。春なら、近くでよく見ていて。前は、理解もないまま驚いて見ただけ。理解した状態で、擬人というものをよく見て」

「ああ、そうするよ」

 四伝はあの日以来、擬人を見ていない。あの日しか、擬人を見ていない。知っていれば見分けられると言われても、放課後の練習が終われば、家に帰るだけ。探すこともしていなかったのだから当然だ。

 実のところ、本当に見分けられるのか、という不安もある。見分けるのにどれくらいの時間がかかるのか、どれくらいの距離で見分けられるのか、試していない四伝にはまだ何も実感がないのだ。

 だから指示には素直に従う。戦闘能力を持つ、サマーの擬人。今の自分に対処できる相手でないことは、小盾という武器しか持たない彼もよく理解している。

 二人は擬人を探して、北凍市を歩き回る。

 中部地域でも人の多い場所、学校帰りの生徒が集まるような商業施設、道を歩いている人を四伝は注意深く眺めるが、擬人らしい姿は見当たらない。中学生や小学生を除けば、湖囲高校の生徒が多いので、見つからないのも当然か。

 四伝がそう思って生徒以外の人を見るようになってすぐ、一人の人物が目に留まった。

「……ん?」

 複数の店の入口に接していて、人の数が多い場所。そこに何か、違和感を覚えた。

「気付いた?」

 稲穂の言葉に、四伝は注意深く確かめようとする。しかしそれをするまでもなく、彼は気付いた。

「擬人がいる、あの中に」

「そう、私たちがこの商業施設に入ったときから、ずっといるよ」

「……ずっと?」

 四伝は思い出してみる。この商業施設はさほど広くはないが、行き交う人の数も多い。だから稲穂は何周もしているのかと思っていたが、どうやら理由は別にあったらしい。

「そう、ずっと」

 この近くを通るのはこれで三度目。三周目にして、四伝は気付いた。三周するまで、四伝は気付けなかった。

「南城さんはもっと早くに見分けられていた、でも俺には言わなかった?」

「あれは春――スプリングだったから。君が気付くまで待ってた」

 そんな悠長な、と四伝は思ったが、時間があるなら尋ねてみたいこともある。今はそちらを優先することにした。

「俺にも見分けられた、でも、時間がかかった」

「理由、考えなくてもわかるよね?」

 稲穂は微笑んで、下から四伝を覗き込むように訪ねてくる。その仕草にどきりとしたが、慌てずに四伝は即答する。

「人が多いから見えなかった。見えないものを、見分けられるはずもない」

 とても単純な答え。稲穂は頷き、四伝も安心する。答えが間違っていなかったことに。

「一人一人を注意深く見るんじゃない、全ての人を見るんだ――わかったかな、四伝くん?」

「うん、ところでその口調は?」

「名探偵っぽくない?」

「好きなんだ、そういうの」

 稲穂は小さく笑った。四伝も笑みを返し、後回しにしていたことを尋ねてみる。

「放っておいてよかったのかな?」

「それが白のやり方だから。スプリングに戦闘能力はなくても、暴れれば周囲の人を傷付けることはできる。あれだけの人がいる中で、暴れられたら……それも逃げながら暴れられたら、被害が出てしまう」

「被害が出たら、警察だとかも動いて厄介?」

「それは大丈夫。対擬人集団は、警察とも協力関係にあるし、公には国の関連機関という扱いだから……その辺りは、彼らが上手くやってくれる」

 稲穂の口から出てきた言葉に、四伝は言葉を失う。自分が思っていた以上に対擬人集団というのは大きな集団だったのかと、少しばかり気後れしてしまう。

「ふふ、驚いた? でも国の指揮下にあるわけでもないし、国家の事情に左右されるようなものでもない。対擬人集団――『タギ』は全国、全世界に存在する独立集団。それ以上でも、以下でもないよ」

「それでも、想像以上に大きな集団だよ」

 楽しそうに語る稲穂に、四伝は苦笑する。一緒にいたいと思って『タギ』の一員になることを選んだが、その選択は想像以上に大きな決断だったのかもしれない。

「それで、どうするのかな?」

 四伝は聞く。白のやり方というものを、四伝は詳しく知らない。被害を出さないためという目的は知っていても、被害を減らすための白の戦い方は知らない。

「うーん……待つしかないかな? 人が減るのを待って、声をかけて、誘導する。時間はかかるけど、それが白のやり方。退屈かな?」

「いや、そんなことはないさ。それまで南城さんと一緒にいられるのなら」

「ふむ……ねえ、四伝くんってさ」

 稲穂に見つめられて、少し攻めすぎたかと四伝はどきどきする。しかし彼女の言葉はそれ以上は続かず、鋭い視線を擬人のいる場所に向けていた。

 何が起きたのかと、四伝も視線の先を確かめる。擬人は見えているが、何かをしている様子はない。周囲の人々も平然と歩いている。

「ま、だよね。黒が黙ってるはずもない……。けど、四伝くんには都合がいいかな。黒のやり方もよく見ておいて」

 稲穂の指差した方向を、四伝は見つめる。そこには湖囲高校の物とは違う、制服を着た少年が歩いていた。足を運ぶ先は、擬人のいる場所。

 彼は人々の間をすり抜けるように歩き、擬人の傍に近付く。そしてフラグメント・ウェポンから生み出した大剣を振り上げ、横に構え、大きく振り回して擬人を斬り払った。

「……な」

 その攻撃は、周囲の人々にも軽い衝撃を与える。人間は斬れないとは言っていたが、全くの無傷で済むわけではないことは、今日までの練習で四伝も理解していた。

「あんな派手に、大丈夫なのか?」

 心配する四伝だったが、不思議と視線の先で騒ぎは起きていない。

「擬人が消えれば、その記憶も自然に消滅する。色々条件はあるんだけど、擬人が意識している人間には影響が大きい。そこに擬人がいたという事実が広まれば、騒ぎになって擬人を警戒する人間が増えるから……というのが一説」

 稲穂の簡単な解説に、四伝は騒ぎにはならないということだけを理解した。

「あれは、待ち合わせていた男二人が、激しい挨拶として強く背中を叩いた……それくらいの認識になってる」

「……なるほど」

 四伝は呟きながら、擬人を斬った少年の行き先を見る。彼は大剣をすぐに消滅させて、現れた方向とは別の方向に歩いていた。こちらに向かってくるわけではないが、追いかければ歩いても追いつける方向だ。

「さて、挨拶に行こうか?」

 稲穂は四伝を横目に、笑みを浮かべながら一歩前に出る。

「挨拶って、危なくないのかな?」

 随分と派手なやり方に、遠目に見てもわかる冷酷そうな表情。クールで格好良いとも表現できるが、遠くからの雰囲気でわかるのはそこまでだ。

「大丈夫、大丈夫」

 不安な様子を顔に浮かべる四伝に、稲穂は振り向いて笑顔で答える。きっと知り合いなのだろうと、四伝は意を決して足を踏み出す。ここで動かないと、走らないと追いつけなくなる。

「おーい! 小麦〈こむぎ〉ー!」

 大きく手を振って、稲穂は大剣を振るった、黒の少年に声をかける。

「……何だ、いたのか」

 声をかけられて、小麦と呼ばれた少年は足を止めて振り向く。

「いたのにさっさと動けない、白らしいな。……ん?」

 彼の視線は稲穂を捉えていたが、隣にいる四伝の姿に気付くと、彼に視線が移る。

「お前が、話に聞いてる新人か。名は?」

「陸道四伝。君は?」

「……お前が黒に来ると決めたら、名乗ってやろう。白として動くなら、知らなくてもいい」

 どうやら答える気はないらしい。四伝はその態度に好感は持てなかったが、恐怖を抱くような態度でもなかった。

「小麦め……偉そうに」

 稲穂はじっと小麦の顔を睨むように見るが、彼が動じる様子はない。

「無駄に仲良くする気がないだけだ」

 それだけ言うと、小麦は踵を返してさっさと歩いていってしまった。稲穂は肩をすくめるだけで追いかけず、彼女が動かなければ四伝も動かない。

 背中が遠くなってから、四伝は稲穂に尋ねてみる。

「小麦って、苗字? 名前?」

「名前だよ。代わりに私が教えてあげよう。彼は南城小麦〈なんじょうこむぎ〉、私の弟」

「へえ……弟……弟?」

 聞こえてきた意外な言葉に、四伝は素っ頓狂な声をあげる。

「見えない?」

「あの制服、高校の制服だよね」

「東雲〈しののめ〉私立学園高等学校。双子じゃないよ」

「そっか。弟……」

 同じ学年の姉弟、誕生日が離れていれば有り得ることだ。四伝が意外に思ったのはそこではなく、稲穂に弟がいたことと、姉弟揃って『タギ』の一員にいること、それから……。

「姉は白で、弟は黒、か」

 何かあったのだろうか、とは思うが尋ねる気はない。そもそも、白と黒、『タギ』の詳細についてもまだ知らないことが多いのだ。時期尚早というものである。

 四伝は黙って、まだ幽かに見える南城小麦の背中を見つめていた。

 南城小麦は曲がり角の先で、待っていた一人の先輩に声をかけられていた。

「よ、小麦。どうだった、あの新人は?」

「どうもこうも、まだ役立たずでしょう」

「そりゃそうだが……そういうんじゃなくてだな、どうよ?」

 壁に預けていた背中を離し、背の高い先輩は前のめりになって後輩の顔を見つめる。彼は火山天岩〈かざんてんがん〉――東雲私立学園高等学校の三年生。小麦の高校での先輩であり、『タギ』としての先輩でもある。

「黒とか白とか、詳しいことは知らないように見えました。ただ、普通に考えれば……」

「湖囲高の生徒なら、白になるだろうな。擬人に恨みもないみたいだし、黒の人不足は相変わらずになりそうだぜ。ま、俺一人でもどうにかなるけどよ」

「火山先輩も、相変わらずですね」

「事実だろ?」

 呆れることもなく小麦は淡々と言葉を返し、天岩も変わらぬ調子で軽く答える。

「事実なら、擬人を全部倒してから言ってください」

「おっと、言うようになったな。そいつは今すぐにはできないが、俺が生きている間に終わらせる――それでどうだ?」

「若いうちに、が抜けてますね」

「言うまでもない、の間違いだろ?」

 いつもこの先輩は変わらない。小麦は慣れた様子で、今日も小さく肩をすくめて話を終わらせる。こういうやりとりも嫌いではないが、長いやりとりは好みではなかった。

      ―― 夢 ――

 その日もまた、陸道四伝は夢を見ていた。

 その夢はまた、不思議な夢だった。

 夢の続きを見られることは珍しい。それ以上に、同じ夢を見ることは珍しい。

 全く同じ場所、全く同じ状況。それはまるで、夢が繰り返されているかのよう。

「……誰だ?」

 目の前にいる少女、十歳でも二十歳でも信じられそうな不思議な少女。四伝は思わず、同じ言葉で尋ねてしまう。

 返ってくるのは微笑み。二度目の夢、同じ少女。

 珍しいことだ。でも、初めてじゃない。夢の続きを見ることも、同じ夢を見ることも。珍しいと認識できるくらいには、何度か経験がある。

 しかし、それを夢の中ではっきりと認識できたのは――初めてだった。

 夢から覚めて理解するのではなく、夢の中で理解する。

 不思議な夢だ。

 とても不思議な夢だ。

 普通の夢ではない。

 けれど、普通の夢なんてあるのだろうか。

 人それぞれ、夢の普通は違う。

 思考はまとまらない。夢の中だから。夢そのものが思考のようなものだから。

 夢に色がないという人もいる。夢に色は当たり前という人もいる。

 夢で視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚、五感がどれだけ働くのかも、人それぞれ。同じ人でも、常に全ての感覚が夢でも感じられるとは限らない。

 だから、たまたま今回の夢が、全ての感覚が鋭敏に働く、とても珍しい夢なだけで、これも普通の夢なのかもしれない。

「君が誰なのかはもういい。君はなんで、俺の夢の中に現れるんだ?」

 四伝は尋ねる。思考はまとまらなくても、心の赴くままに。素直な言葉を、質問として少女に向ける。

 夢から覚める前に。夢にしかいない彼女に、声が届く間に。

「なんで? 私はあなたのものだから」

 少女は答えた。透き通るような綺麗な声で、全てを見通すような瞳を彼に向けて。

「私は、あなただけのものだから」

 繰り返す。

 声は透き通って、瞳は見通して、不思議な夢の中で。

「俺、だけの? どういう……」

 そしてその声は、言葉は、夢の終わりを告げる言葉でもあった。余計な思考をしてしまったせいか、それとも元々長い夢ではなかったのか、四伝にはわからない。

      ―― 夢、覚めて ――

 だけど、四伝は覚えていた。

 目が覚めたら忘れてしまう、そう思っていた夢の全てを。前も、今回も、見ていた不思議な夢は鮮明に覚えていた。だから確信する、これは普通の夢ではないと。


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