飛都国

ウガモコモ篇


   チカヒミの少女 その二

 シララスは早朝から川澄を訪れていた。

 目的の場所にはカカミからしか行けないが、心橋を使って経由するのに時間は要らない。特に時間も定められていないので、シララスは一度落ち着いてから偵察に向かうことにした。

 基本的にはその場の状況次第であるのだが、どこまで踏み込むべきかの状況判断はあらかじめ定めておいた方がいい。今回の目的は他にもあるとはいえ、あくまでも主目的は偵察。それだけなら無事に果たせるのに、余計な行動をして身を危険に晒すのは、まさに無謀である。

「一人でチカヒミ旅行なんて、楽しそうだね」

「遊びじゃないぞ」

「でも、旅行みたいなものでしょ?」

「それは偵察のついでだ」

 カウンター席に座り、ココカゼコーヒーをゆっくり口にしながら、幼馴染みのウェイトレスと会話をする。戦い方を見つけるための旅――それもまた、間違いではない。

「無理してもいいけど、私に迷惑はかけないでね?」

「わかってる。そのつもりだ」

 コーヒーを飲み終えて、シララスは席を立つ。幼馴染みだけに迷惑をかけることはないだろうが、シズスクを含むココカゼの民に迷惑をかけないようにする。それだけは絶対に守らないといけない。たとえ何も情報が得られなくとも、無事の帰還が第一だ。

 川側の扉から外へ出て、川を越えてカカミへ通じる心橋を架ける。数十歩で到着したカカミから、すぐにチカヒミの飛行都市へと心橋を架けて、歩みを止めたのは一瞬。再び数十歩、以前と同じ場所を目指してシララスは歩く。

 固い雪の道から、柔らかい雪の積もる小さな都市へ。芳しい花の香りに前回の出来事が思い出され、誰もいない都市を神殿らしき建物へと歩いていく。

「……やっぱり」

 その少女――ルーンカは神殿の前で、小さな岩に座って待っていた。

 シララスがそう思っただけで、本当に待っていたのかどうかはわからない。偶然そこにいただけかもしれない。けれど、彼女は今日もここにいる――そんな予感が彼にはあった。

 ルーンカは首を動かして、シララスを見上げるように見つめる。それが歓迎の印なのか、あるいは人の気配に反応しただけなのか、どちらにしてもシララスは臆さず一歩踏み出す。

「ルーンカ。君に……と、それより覚えてるか?」

 彼女に会ったのは一度きり。それはシララスやクゥラにとっては特別な出会いでも、彼女にとってはありふれた出会いの一つでしかなかったのかもしれない。

 ルーンカはシララスを見つめたまま、大きく頷いた。

「そうか。じゃあ、君に聞きたいことがあるんだ。聞いてもいいかな?」

 少しの沈黙と逡巡。ルーンカは首を縦にも横にも振らず、曖昧な表情でシララスを見た。

「質問次第……ってことか?」

 こくりと頷くルーンカ。ひとまず安心したシララスは、まず最も重要な質問をしてみる。

「チカヒミについては……」

 言い切るより早く、ルーンカは首を横に振った。

「……だよな」

 敵対する飛行都市国家に対して、教える情報はない。前と同じ反応だ。

「じゃあ……ん?」

 だとすると、答えてくれる質問というのは他に何があるのか。チカヒミについては教えられない。シララスは少し考えて、別の質問を試してみる。

「君については?」

 国家の情報は無理でも、ルーンカ個人の情報なら。それを聞いたところで偵察になるのかはわからないが、チカヒミの住民を知ればチカヒミという国家も少しは見えるかもしれない。

 ルーンカはシララスを見つめたまま、小さく頷いた。

「そうか。それじゃ……といっても、なんでも答えてくれるってわけじゃないよな?」

 ルーンカは頷く。

 初対面ではないが、親しくもない相手。当然の制限である。シララスは慎重に質問の順番を考えて、まずはこの質問からぶつけてみることにした。

「ルーンカ。君はずっとここにいたのか?」

 視線で神殿と神殿都市を示して、シララスは尋ねる。

 ルーンカは首を縦に振った。

「ずっとここにいるのか?」

 似たようで全く違う質問を、シララスは続けた。

 ルーンカは首を横に振った。

「出かける先は、どこに?」

 シララスはさらに続ける。ここで暮らしてはいるが、常にここにいるわけではない。二つの質問でわかったことから、自然な流れで繋げていく。

 ルーンカは首を縦にも横にも振らなかった。

 この質問には答えられない。シララスは彼女の反応からすぐに理解する。問題は答えられない理由が何かだが、それを尋ねるのは性急だ。

「ところで、君はいくつなんだ? 背はクゥラと同じくらいだけど……あ、俺は十五歳。それからクゥラは十四歳だ」

 質問を変える。おそらく答えてもらえる質問を重ねて、ルーンカという少女を知る。大事な質問はそれからでも遅くない。

「十八歳」

「へえ……って、師匠より年上!」

 意外な答えにシララスは冷静さを欠く。だとすると、この話し方自体が問題なんじゃないかとルーンカの顔色を窺うが、不満の色は見えない。だが念のため、シララスは尋ねる。

「敬語の方がいいか?」

 その尋ね方自体敬語ではないのだが、それも今更である。急に変える必要はないと判断する。

「気にしない」

 ルーンカは優しく微笑んで、言った。

 それに安心したシララスは、先程までの冷静さはどこへやら、率直な感想を口から漏らす。

「三歳も年上か……見えないな。クゥラと同じくらいなのに」

 シララスがうっかり向けてしまった視線の先、ルーンカは視線に気付いて胸に手をあてる。

「……あ」

 その行動を見て、シララスはようやく失態に気付く。そっと彼女の胸にあてられたルーンカの右手。さっき自分は、何を同じくらいと言ってしまったのか。

「ええと、その、人それぞれだよな!」

 咄嗟にフォローするようなシララスの言葉に、ルーンカは破顔する。

「気にしてない」

 再びシララスは安心したが、今度は慎重に次の行動を考える。彼の判断材料が何だったのかを知るために、視線の先にあったものを確かめた。たったそれだけの反応。女心を傷つけるものではなかった。――幸いにして。

「気にする?」

 考えている間に、ルーンカから質問が飛んできた。

「いや、俺は別に……胸より顔とか性格とかの方が大事じゃないか?」

 油断していたシララスは素直に答える。答えてから、逆に自分が偵察されているような気分になったが、気にしないことにした。

 ルーンカは黙ってシララスを見つめる。

「どう?」

 そして一言。たった一言で、通じる単語を口にした。

「顔は可愛いと思うけど、性格はまだわからないな。もっと色々教えてもらわないと」

 今度も素直に、少しの積極性を見せてシララスは答える。この流れを利用すれば、彼女について詳しいことを聞き出せるかもしれない。

「……ん」

 ルーンカは小さく頷いた。

「君は、一人なのか?」

 シララスは質問を再開する。前に一人でなかったことは確認しているが、あえてその質問を彼はした。どこまで踏み込んだ質問に答えてもらえるのか、ルーンカの顔を見つめてシララスは答えを待つ。

 ルーンカはシララスの顔を見つめ返し、こくりと頷いた。

「淋しくないのか?」

 ルーンカは大きく、はっきりと頷いた。

 その彼女の答えに、シララスは考える。笑顔の中に感じた真剣な色は、はっきりと伝わってきた。一人でも淋しくない。彼女の反応は、単に慣れているからとか、慣れたように強がっているとか、そういうものではないように感じた。

「君は……チカヒミの」

 言葉を区切る。この質問を、ここでしてもいいものか。もう少し、慎重になるべきではないか。その迷いが見せた躊躇だったが、帰ってきたのは意外な反応だった。

「シララス」

 自分の名を呼んだ少女。自分と少女の間にある空間。そこに広がった小さな空間を、シララスは凝視する。驚きはあったが、思ったよりも小さなものだった。

「これは……」

「シンイキ」

 ルーンカはシララスに手を差し伸べる。誘うように――誘っているのだろう。

「ああ」

 シララスは答えて、彼の心域を広げる。二人の間に広がった小さなシンイキに、心域が混じって一つの空間となる。雪の上、小さな花が咲く、二人が入るには小さい空間だ。

「これでいいか?」

「……ん。見せて」

「見せて、って……その」

 心域から視線を上げたシララスに、ルーンカは小さく笑って大きく頷く。ゆっくりと、はっきりと。彼女の意図も、真意も、今のシララスには読めなかった。

 ただ、彼女が何を求めているのかは伝わった。

「俺は強くなりたい。俺の戦い方を見つけたい。その手助けを、してくれるのか?」

 心域とシンイキが混ざった空間に、シララスは小さな心兵を一体生み出す。ルーンカが答えないのを見て、二体、三体と数を増やし、十体目が生み出されたときに、ルーンカは答えた。

 ルーンカは頷く。シララスの心兵を、まっすぐに見つめて。

「理由を聞きたいけど……」

 優しい笑顔のルーンカを見て、シララスは聞くのをやめる。理由を聞いたら、手助けはしてもらえない。理由を聞かないからこそ、手助けをしてもらえる。

 本当は、警戒するべきなのかもしれない。罠の可能性を考慮すべきなのかもしれない。

「まずは何をすればいい?」

 けれど今はただ、目の前の少女を信じることにした。

 ルーンカは岩から立ち上がり、近くにあった雪を丸めていく。小さな雪玉を転がして、大きな雪玉を一個。もう一つの雪玉をまた転がして、先程よりも少し小さめに大きくしてから最初の雪玉の上に重ねる。

 簡単に小さめの雪だるまを作ってから、ルーンカはシララスの方を見た。

「それを作ればいいのか?」

 ルーンカは頷く代わりに、シンイキの中にいる心兵を見る。

「心兵で、か。やったことないけど、やってみよう」

 十体の心兵を細かく指揮して、シララスは心域の中で雪だるまを作っていく。手足のように操り自由自在に……といっても、作るのは雪だるま。主に動かしたのは二体の心兵で、残りの心兵は殆ど動くことはなかった。

「次」

 ルーンカは広がる都市の方を見て、シララスに指示を与える。

「作れる範囲で構わないよな?」

 ルーンカは小さく頷いた。

 シララスは今度は全ての心兵を使い、雪を固めてルーンカの示した都市を再現する。転がすだけで簡単だった雪だるまと違い、大きな雪像を作るとなると小さな空間でも簡単にはいかない。

 大量の雪を固めて、削って、適度に崩れないように補強する。生身でやれと言われたらいくつか道具も必要になるが、心域で心兵の力を使えば道具は要らない。

「……ええと、うーん」

 だがシララスはすぐには動かない。何しろ作るものが作るものである。見たままに立体模写をするだけとはいえ、ある程度の完成図を想像してからでないと上手く形にはならない。

「よし」

 風で雪を巻き上げて集め、固めた雪を地の欠片で削っていく。一部は火で溶かし、水で溶かし、効率よく作業を進めていく。心域の雪は全て綺麗な雪なので、化粧雪は必要ない。

「……できた」

 十数分後。

 心域の中には見事にチカヒミの神殿都市が再現されていた。とはいえあくまでも素人の立体模写。見る者を魅了するような芸術的魅力もなければ、圧倒するような迫力もない。細部を見ると再現性が甘い箇所も多数存在するが、建物としての形は完璧に造形されていた。

「……もう?」

 雪玉を転がして大きな雪だるまを作ろうとしていたルーンカは、驚いた顔でシンイキの中にできた都市を見る。間違いなく完成したその姿に、彼女は感嘆の息を漏らす。

 作りかけの大きな雪だるまを放置して、シララスの顔を見る。

「簡単?」

 ルーンカが聞いた。

「ああ、これくらいなら普通にできるよ。……もっと芸術的に、綺麗に作れって言われたら簡単じゃないけど」

 シララスは最後に苦笑しつつ答えた。実際、今回の作業は思ったよりも難しくはなかった。最初に完成図を想像するのに苦労したくらいで、心兵を動かしてからはこれといった苦労もなく、雪像の都市を完成させることができた。

 ルーンカはシララスの顔をじっと見て、微笑む。

「それは凄いこと。私にもできない」

「そう……か?」

 自分では普通だと思っていたことが、彼女からすると凄いことだと言う。シララスは改めて心兵を動かしてみて、小さな雪の建物を一つ作ってみる。

 十体の心兵が高度に連係し、あっという間に雪像が完成する。それが凄いことだと言うのなら、もしかするとそれこそが自分の――見つけた戦い方。

「……ん?」

 そこでふと、シララスは疑問を覚える。凄いと言ったあとに、気になる一言が続いていなかっただろうか。凄いと言われたことの意味を考えていて、いまいち覚えていないが。

 偵察という主目的を思い出して、シララスは思い出そうとする。

「あ」

 そして思い出して、今度は聞くべきかどうか迷う。おそらくこの質問には、答えは返ってこないだろう。ついでの目的も果たせたように思うが、実際に試したわけではない。

 そうしている間に、ルーンカはシンイキを消滅させていた。心兵の知覚で気付いたシララスも、追いかけるように心域を消す。作った雪像も一緒に消えるが、名残惜しいものではない。

「ルーンカ。君は……」

 まっすぐにこちらを見て微笑む少女。彼女は一体何者なのか。それを問うべきか、シララスは迷いながらも口を開く。

 ルーンカは小さく笑って、無言でシララスの言葉を待っていた。

「君はチカヒミの、将なのか?」

 思い出す。「私にもできない」――彼女は確かにそう言った。忘れるはずもない。ついさっきまで彼女はシンイキを広げていた。シンイキに、シンペイ。それらを生み出せるチカヒミの者といえば、推測される素性は他にはない。

 ルーンカは笑顔のまま、言葉を返した。

「ルーミャンピカ――ルーンカ」

 改めての名乗り。それが意味するものが何なのか、シララスにはわからない。シァリがするような宣戦布告の名乗りなのか、単に友好の証としての正式な名乗りなのか。

「シキライラハスク――シララスだ」

 でもとりあえず、名乗られたらこちらも名乗る。質問の続きはそれからでいい。

「だとしたら、なんで俺に?」

 仮にも敵対する飛行都市国家の、心生みである自分に。自分が弱いままなら、チカヒミにとっては有利に働くはずなのに。直接的なその言葉を口にするのはやめておいたが、シララスの質問の意図は十分に伝わる。

 ルーンカは小さく優しく笑って、答えた。

「私のため」

 前にも聞いた、前と全く同じ答え。

 そしてまた、彼女はシララスに背を向けて神殿に戻っていく。

「……私のため、か」

 シララスは一歩踏み出して、呟いて、それ以上は追いかけない。前と違って、彼を阻もうとするシンイキは広げられない。この状況を監視する者はなく、本当にルーンカは一人でここにいたのだ。追いかけようと思えば、追いかけられる。

 だけどここで追いかけても、意味はないとシララスは思った。追いかけて、彼女から全てを聞けたとして、それでチカヒミとココカゼの戦いが終わるわけではない。

 チカヒミは、一方的にココカゼ、カカミ、マコミズに戦いを仕掛けてきた。その理由が何なのかはわからないが、それだけの理由がチカヒミにあるのだ。

 ルーンカが一人の、チカヒミの将だとしよう。その一人の将と話して、仲良くなったところで、数多くの将を有するチカヒミに変化はあるのだろうか。チカヒミの武力による要求が始まってから、ココカゼ、カカミ、マコミズからも動かなかったわけではない。

 それでもチカヒミは当初の――書状で伝えた要求を繰り返すのみで、その詳しい理由を伝えてくることはなかった。ただ、従うようにと繰り返すだけで。

「それは、君だけのためなのか!」

 シララスは叫んだ。ルーンカの背中に、遠くなった彼女に聞こえるように。

 追いかけはしない。でも、声をかけるくらいなら。

 ルーンカは振り向いて、足を止めて、じっとシララスの顔を見た。

 そして、大きく首を横に振る。

 再び背を向けて歩き出したルーンカを、シララスは追わない。声もかけなかった。神殿の奥に消えていく少女の姿を、黙って見守るだけ。

 しばらくして、シララスも神殿に背を向けて歩き出した。とにもかくにも、偵察は終了だ。これ以上、誰もいないチカヒミの飛行都市に長居する理由はない。心橋を架けてカカミへ、それからココカゼへ。それから――できるだけ早く、師匠との修行で試したいことがある。


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