飛都国

ウガモコモ篇


   リバーサイドの修行 その一

 飛行都市国家ココカゼ。火山と数十の川、温泉に恵まれた国。そのうち一つの大きく緩やかに流れる川の傍らに、建つのは一軒の喫茶店。リバーサイドカフェ、川澄。その店内。いくつかの物を広げたテーブルを挟み、座るのは二人の若者。

「……理解はしたか?」

「はい、師匠!」

「よし。ならば、実践といこう」

 師匠と呼ばれた一人の少女、ヒミリクが静かに椅子を引いて、しなやかに立ち上がる。

 師匠と呼んだ一人の少年、シララスも彼女に続き、小さな音を立てながら椅子を引いて、勢いよく立ち上がる。

 二人は川澄の川に面した扉から外に出て、川沿いに立つ。シララスにとって初めての実践。使えるようになった力を、自在に使えるようにするための実践。彼は今、これから――目の前の川の上に心域を広げる。

 シララスがごくりと唾を飲み込む。これから広げる心域は、練習や確認で広げた小さなものではない。広い川の向こうまで、川の上に大きく広がる心域だ。

「ここでそんなに緊張していては、先が思いやられるぞ。自信を持て、シララス。君に発現した力は、夢の中の幻か? 私に見せたあの力は、私の見間違いか?」

 陽光の下、隣のシララスを見下ろしてヒミリクが言う。セミロングストレート、エメラルドピンクの髪が、昼の光で淡い色彩を描く。

「……違います」

 セミショートストレート、サファイアグリーンの髪。シララスは少し遅れて、しかしはっきりとそう答える。

「だろう? ならば、実践といこう」

「はい!」

 シララスは心域を広げる。川の上に、広く、大きく。過度な緊張さえしなければ、本来の彼であれば簡単なこと。それをできる力が、彼にはあるのだから。

 川の上に広がった心域に、シララスとヒミリクが足を踏み入れる。跳び込むでもなく、軽く一歩を踏み出すだけで、川の上に広がる心域に吸い込まれるように、二人は移った。見えはせずとも感じられる、広い空間――それこそが、彼の生み出した心域。

「できました、師匠!」

 シララスは笑顔を見せる。満面の、正面からの笑顔。そんな彼の表情にヒミリクは苦笑を浮かべ、真剣な声で気を引き締めさせる。

「本番はこれからだ。正確には、次の次だ。そうだな……まずは、心兵を一体」

「簡単です!」

 答えた彼の掌の先、彼の一・五倍の体躯を持つ心兵が生み出される。透き通る水の体で、燃え盛る火を包み、流れる風を纏い、硬き地の爪と足を持つ――心兵。

「十体」

「じ、十体ですか? いきなり?」

 告げられた次の数に、戸惑うシララス。ヒミリクは無言で彼を見据え、頷きもしない。

「できるだろう? 二十体でも、三十体でも」

「それは……はい。では、十体で」

 先程と全く同じ姿の心兵が、九体まとめて生み出されて横に並ぶ。直立不動の心兵が十体。シララスはいとも簡単に、それらの心兵を生み出してみせた。

「さて、実践といこう。私に一撃を与えてみろ。防御はするから全力で構わない。ああ、もちろん――一体ごとに、一撃だ。私がちゃんとカウントするから、忘れたら聞くといい」

「ちょ、ちょっと師匠、その」

「ほう、余裕か? ならば数を二十――五十に増やしても構わないぞ?」

「十体でお願いします!」

 即答。ヒミリクは呆れるでもなく優しく笑いかけ、数歩下がって距離をとる。

 大きく息を吸い、また大きく息を吐く。シララスは十体の心兵を前進させる。彼の生み出した心兵は、彼の手であり足であり、彼の意のままに自在に動かせる。

 包囲を逃れようとするヒミリクに対し、シララスも囲むように動かしていく。心兵の影に隠れて彼の視界からヒミリクの姿が消えるが、シララスは動じない。ただ、ここからが重要であると気を引き締めるだけ。

 心兵は彼の手足であり、目であり耳でもある。心兵の知覚は、心兵を生み出した彼の知覚でもある。彼の視界から姿が消えても、心兵の視界に入っていれば問題はない。

「師匠の姿は、そこっ!」

 動かした心兵の爪は空を切る。ヒミリクは決して速く動いてはいない。ただゆっくりと、複数の――八体の心兵の視界に入る位置で動いただけ。

「全ての知覚に敏感に反応する必要はない。知覚を制御するんだ」

「はい! でも、難しいです!」

 彼の動かす心兵は、鋭く、速く、ヒミリクに襲いかかる。風を飛ばし、炎を吹き上がらせ、水流を放ち、地の爪を振るう。しかし、そのどれもが僅かにずれて、当たらない。

「ふむ……まあ、すぐに慣れる」

 その言葉通りに、次第にシララスの動かす心兵は正確さを増していく。しかしそれに合わせるように、ヒミリクも速度を上げ――そして、小さな心兵を生み出した。

 空に浮かぶ、風の翼を纏う水の塊。小さな炎をその中心に秘め、地の牙を鋭く尖らせる。

「え? あの、師匠!」

「うん? 防御はする、と言っただろう? 案ずるな、これに当たれば私に当たったことにしよう。私に直撃させようとすれば、これが盾となって飛んでくる」

「ああ。じゃあ、いきます!」

 十体の心兵が一気に距離を詰め、様々な攻撃を同時に放つ。回避不能の包囲攻撃を、ヒミリクは黙って待ち構える。全ての攻撃が近付いた瞬間、彼女の生み出した心兵が水を弾けさせ、風に乗った水は全ての攻撃を受け止める。大きな炎も、巨大な地の足も、その全てを受け止めて、ヒミリクの生み出した心兵は消えていった。

「……で、できました!」

「ああ。慣れれば簡単だろう?」

「はい。これならもっとできそうです!」

 大きな笑顔をみせたシララスに、ヒミリクも小さく笑って答える。

「そうか。では、次は百体といこう」

「……は? えっと、百体って言いました?」

 聞き間違いではない。残った彼の心兵は、ヒミリクの傍に立っている。肩を寄せ合うような距離で聞こえてきた言葉を、聞き間違えるはずがない。

「ああ。これくらいは動かせないと、実戦では使えないぞ? まあ、得手不得手もあるし、限界もあるだろうが……百体くらいなら生み出すのも簡単だろう?」

「は、はい。それくらいは、今の体力でも」

「ならば、それも動かせるはずだ。自らの意志で伸ばせる手足を、自らの意志で動かせない道理はないだろう?」

 心兵の制御とは、そういうものだ。ヒミリクの言葉に込められた意味を、シララスもすぐに理解する。川澄で理論を学んだときも、昔に彼から尋ねたときも、何度も聞いた言葉。

「――はい!」

 それを、ようやく今日、実際に自分の身で経験することができる。待ちに待った、憧れの時間が、ようやく訪れたのだ。不安も、驚きも、疲労も、その言葉を思い出すだけで、全てが凌駕される。

「ちなみに、今度狙うのは私ではない。私の生み出した心兵を一体、倒してもらおう」

「一体、ですか?」

 シララスは新たに九十体の心兵を生み出しながら、尋ねる。

「うむ」

 言って、ヒミリクも心兵を生み出す。熱き火炎が全てを包み込むうような、硬き土の鎧が全てを覆うような、荒ぶる風が全てを切り刻むような、澄んだ水が全てを呑み込むような、四体の心兵を。

「……あの、師匠」

 そして思い出した言葉を凌駕するような驚きが、すぐにまたやってきた。

「倒せるなら全部倒しても構わんぞ。こちらからは攻撃しない。私の計算では、二時間もあれば一体は倒せるはずだが……君が心域で戦うのは今日が初めてだ。私の計算も完璧ではない」

「ちなみに、その基準は?」

「君の力を最大限に高く見積もった。当然だろう?」

「なるほど」

 それはつまり、シララスが最大の力を発揮しない限り、ヒミリクの心兵一体を倒すこともできないということ。なかなかに厳しい条件だが、無理難題ではない。この日のために、彼も体調は万全にしてきたのだから。

「では、いきますね!」

「ああ、来るといい」

 そして二人の修行は、更なる激しさを見せていくのだった。

「一時間五十九分……一分早かったな」

 褒め称えるような師匠の言葉に、シララスは戸惑いの表情で言葉を返す。

「誤差の範疇ですよね?」

「だが、良い方の誤差だ。二時間一分よりは、嬉しいだろう?」

 コーヒーカップに口をつけて、ヒミリクは微笑む。シララスもコーヒーを一口、喉に流してから答えた。

「それは、まあ、否定しません」

 リバーサイドカフェ川澄。本日の修行を終えたシララスとヒミリクは、立った席に戻ってゆっくりと体を休めていた。ヒミリクとしては、彼が動けるならもう少し修行を続けるつもりであったが、やる気はあってもそこまでの体力はない――そう判断して、あの百対四の戦闘を最後に心域での修行を終えた。

 シララスも素直に頷いて、心域から川沿いに戻った。心兵は彼の目であり耳であり手足である。二時間以上も激しく動き続けた疲労は、とてもごまかせるものではなかった。

「さて、まだ修行は終わっていないぞ」

「はい」

「先程の君の動きの問題点だが……」

 心域での修行は終わっても、リバーサイドでの修行は終わっていない。見つかった課題を元に、明日以降の修行の方向性を考える。これもまた、大切な修行の時間だ。

「まず、心兵を動かしている間、殆ど棒立ちだったのはいけないな。私から攻撃しないとは言ったものの、攻撃していたら実に狙いやすい的だ。心域で君が倒れたらどうなるか、忘れたわけではあるまい?」

「生み出した心兵も倒れる、ですね。油断していました」

「うむ。自覚があるなら、次にいこう」

 シララスも決して、心兵の操作に集中していて動けなかったわけではない。攻撃を受ける心配がないならと、動かなかっただけだ。途中、彼の心兵の視界から、ヒミリクの心兵の姿が消えた際、彼が動いていれば簡単に彼の視界に捉えられた場面があったにも拘らず。

 それから、一つ一つの問題を順に確認して、これからの修行内容に反映させる。経験の差があるとはいえ、目指す先はまだまだ遠い。躓いても、すぐに立ち上がらなければいけない。

「終わったかなー? お二人さん」

 二つのケーキが乗った盆を片手に、少女が声をかける。リバーサイドカフェ川澄のウェイトレス、シズスク。ミディアム枝分かれストレート、マゼンタオレンジの髪に、飾りのついたカチューシャ。今日の飾りは苺のショートケーキ、盆に乗ったケーキも同じものだ。

「はい、サービス!」

 二つのショートケーキを、二人の前に並べていく。

「サービスって、お金なんて物語上の……」

「んー? 素直じゃない心生み〈こころうみ〉さんには、幼馴染み権限で没収しちゃうよ?」

 小首を傾げて見つめるシズスクに、シララスは見つめ返さず答えを返す。

「じゃあ注文する」

「残念。ウェイトレストしての私より、幼馴染みとしての私が上位です。こういうときはサービスって言うのが、粋ってやつなんだよ? わかる?」

「そういうものなのか?」

「うん、多分。はい、シズスク様ケーキを下さい。言ったらあげる」

「シズスク様ケーキを下さい」

 言われた言葉をすぐに口にする。棒読みではなく、しっかり心を込めて。

「……いっつもながら、プライドないなあ。あげるけどさー」

「幼馴染みに見せるプライドなんて、もう残ってないんでね」

 シララスは肩をすくめて、手にしたフォークの先端を苺に突き刺す。二人のやりとりを見ていたヒミリクも、フォークで生クリームとスポンジを切って、一口分のケーキを口に運ぶ。

「……たまには師匠を見習って、最後に食べたら?」

「あいにくと、師匠はショートケーキの食べ方の師匠じゃない」

「うん、今日も甘いな」

「ま、いいんだけど。あ、ヒミリクさん、もう一個余ってますよ」

 シズスクは幼馴染みから視線を動かして、幼馴染みの師匠に視線を向ける。

「本当か? もらえるのか?」

 鋭く、嬉しそうな表情を隠すこともなく、ヒミリクはシズスクに顔を向ける。

「はい。心生みさんなら、特別です。それに、ヒミリクさんには幼馴染みが苦労をおかけしていますから」

「ならば、頂こう」

「否定しないんですねー……」

 シララスは小さな声でそう言ったが、二人の少女から反応が返ってくることはなかった。

 しばらくして。

 リバーサイドカフェ川澄の青年マスター、レフフスに挨拶をしてシララスとヒミリクは川澄を後にした。流れる川に沿って道を歩くと、次第に陸地が途切れて空が広がっていく。雲に覆われた空の上、緩やかに飛行する都市国家ココカゼ。

 流れる川が滝となって陸から空に流れ落ちる、ココカゼの端。その川沿いには素朴で強靭な木材によって建てられた、大きく麗しい宿がある。それが、彼ら二人の暮らす宿。心生み専用の温泉宿だ。宿といっても、あくまでも様式だけであり、普段は二人以外に暮らしている者はいない。

「シララス、今日は疲れただろう?」

「はい。でも、明日に疲れは残しませんよ」

 宿についてすぐ、二人は廊下を歩きながら話をする。

「そうだな。ならば、今日は君が先に入るといい」

「俺はあとでもいいです。いつものように、師匠が先でいいですよ」

 それぞれの部屋に向かう廊下の分かれ道。心生み専用の宿は、本来は一人で暮らすためのもの。二人の心生みが同じ時代に生まれることは少なく、部屋の数こそ十分にあるが、温泉宿としての温泉は男女の区別なく一つしかない。

「……ふむ。ならば、一緒でも私は構わんぞ?」

「そんな! 俺が師匠と一緒にだなんて、畏れ多いです! ヒミリク師匠と肩を並べられるまで、まだ成長してもいないのに」

 ヒミリクからの提案を、シララスは大きく首を横に振って断る。

「そうか。君の意志は尊重しよう。しかしだな、君はもう少し女心というものも学ぶべきと思うぞ」

「女心ですか?」

「うむ。私も女の子だ。男と一緒にと言うからには、それなりの抵抗があるかもしれないだろう?」

「はい。でも師匠は、俺のことを男として意識はしていないですよね?」

「まあ、それはそうなんだが……区別はしているが、意識はしていない」

「なら、問題ないですよね?」

「それもそうなんだが……女心も人の心だ。人の心が読めなければ、心域での戦いでも相手の動きに惑わさてしまうぞ」

 そのヒミリクの言葉に、シララスはほんの少し言葉を失って、明るい表情を浮かべる。

「なるほど! 師匠はそれを俺にわからせるために、女心なんて似合わない言葉を使ってまで教えてくれたんですね!」

「……ほう。シララス、明日の修行は予定よりも厳しくしてやろう。しっかり体は休めておけ。温泉は私が先に入るから、時間を気にせずたっぷり楽しむといい」

「ありがとう……あれ、師匠、何か俺、機嫌悪くするようなこと言いました?」

 シララスの言葉を背に、ヒミリクは無言で自分の部屋に戻っていく。機嫌の良し悪しがわかるのはせめてもの救いだが、さっぱり女心のわからない彼が、いつか女性関係で苦労をするのではないかと、大きな不安を感じながら。

 そしてこのときの言葉通り、翌日の修行は予定よりも厳しいものとなり、シララスは激しい修行の前に何が原因かわからないまま、疲労で倒れかけるのだった。


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