四月 第三章 触手と恋と約束と


ちぎりばなし 触手が調べる触手の痕跡


 砂和里手村の湖、砂和里手湖の西。そこに四体の触手が集まっていた。

「確かに、この中はわたくしたちが適任ですけれど」

 口火を切ったンレィスが、集まった触手を見回すように触手を振る。

「我の能力を使えば、正五に任せることもできるんだけどね」

 それに答えたのは氷河で、その言葉に月星からの気になるような動きが向けられる。

「我はいつでも空気を生み出せる。派手なことはできないし、我だけではほぼ役に立たない能力だけど、おかげで正五は空気の薄い高山でも、川の底でも、燃え盛る炎の中でも、呼吸の心配はせずに調査できるというわけさ」

 ただし、服装や防寒防水耐火装備の用意は別物である。防水だけなら空気の層を作ることでなんとかなるし、防寒や防熱も空気の層を壁にはできるが、いくら熱伝導率が低い空気といっても長い時間は耐えられない。常に新鮮な空気を生み出し続けて循環させるには、氷河の負担が大きく、とても疲れるのである。

 そしてもちろん、耐火は空気ではどうしようもない。むしろ、空気の中に含まれる酸素が炎を燃やす燃料となって、生身よりも勢いのある炎が襲いかかってくる。

「ふふん、ンリァスちゃんの方が強そうだね! もし悪い触手が相手なら、あたしたち女の子に任せるといいよ!」

「おや、探偵も探偵の助手も、大立ち回りは得意なものだよ? 犯人逮捕は任せたまえよ」

「はあ……」

 ンリァスと氷河の会話に、ンレィスは大きくため息をついた。

「悪い触手でしたら、恋凜が放っておくわけがありませんわよ。いい触手でも、戦闘狂みたいな可能性はありますけれど」

「……痕跡、すぐに見つかるね」

 呟いた月星の言葉が正しく、状況を示していた。そんな触手がいるのであれば、むしろ積極的に痕跡を残すはずで、探されるよりもあっちから探すのが自然だ。怪我でもして休養しているなら別だが、それはそれで、近い時期に大規模な戦闘の痕跡があったはずである。

 無論、そんな痕跡は砂和里手村のどこでも見つかっていないし、近くの山や海で行われたとしても、そこまでの痕跡なら少し調べれば情報が届くことだろう。

「ま、そういうことだから、あたしたちは湖の中を調査するわけです。そこで、揃った四触の団結を高めるため、触手を合わせて突入をしようと思います!」

 元気な声といっしょに、ンリァスは液体の触手を伸ばして高く空に掲げる。揺らした液体で他の三触にも促して、促がされた三触は、少しの間をおいて動き出す。

 最初に触手を伸ばしたのは月星で、一本の足のような触手を長く伸ばしてそこに合わせる。蛇のような上の部分は顔ではないが顔みたいなものなので、それを伸ばした方が近いけれどこういった動作をするには似合わない。

 続けてンレィスと氷河が、塊から伸ばした細めの触手と、葉っぱのような触手を高く伸ばして、二触の触手の先が合わさっているところに重ねていく。

「合言葉は『てんたくぅー』だよ。覚えてね? 『てんたくぅー!』」

 それぞれの触手が頷くように触手を動かす。ンリァスはそれを見て、頷く代わりに笑うように触液を揺らして、大きく息を吸うような揺らし方を見せてから、叫ぶ。

「みんな、せーのっ……てんたくぅー!」

「てんたくぅー!」

 ンリァスの一言に、ンレィス、月星、氷河の声が重なって広がる。

 先陣を切るように動いたンリァスが砂和里手湖に飛び込んで、続けて氷河、月星、少し遅れてンレィスが湖に飛び込んでいった。

 水中に沈んだ触手たちは、湖の中をすいすいと泳いで沈み進んでいく。湖の水深は西側が全体的に浅く、ここから入水すれば底を確認しながらゆっくりと深いところまで見ていくことができる。

 ただし、彼女たちが感知する器官は目ではなく、触手だけが持つ特別な感知器官。主に閃穴に対応するものではあるけれど、触手を感知する能力も決して低いわけではない。

 すいすいふよふよと湖の中を進む四触。湖の底が見えないくらいに深くなっていくにつれて、後方にいたンレィスが少し遅れて沈むようになり、月星は右――南側に、氷河は左――北側に広がって、中央を進むンリァスは湖面から離れすぎずに水中を泳いでいく。

 互いの距離が確認できるくらいの、まとまった陣形で、彼女たちは砂和里手湖の中を調べていく。出会うのは湖に住む魚だけで、触手を感知することはない。

「おやつおやつー、ふふーん、っと」

 先頭を進むンリァスは、感知した閃穴を伸ばした触手で食べながら進んでいく。閃穴があるからといって触手の感知能力が鈍るわけでもないが、閃穴が大量発生する月祭りの時期、普通に移動していても閃穴はそこかしこに見つかるものである。

 他の三触も、自分の進路の周辺にある閃穴を食べながら進んでいく。これらの閃穴は通常の閃穴で、施設に発生したような特殊な閃穴ではないから復活はしない。

 湖の中に、閃穴のほとんどない四本の道ができあがっていく。それは彼女たち四触の探索した場所を示す目印となる。新たな閃穴が生まれることも多い時期であるが、数時間でその道が埋まるほどの閃穴が発生することはないから、この目印はすぐに消えることはない。触手以外にはほぼ見えない道なので、人間には把握できないことだけが欠点である。

「……ん?」

「どうしましたの? ……あら」

 動きを鈍らせたンリァスに、最初に気付いたのはンレィスだった。そしてその原因に気付くまでも、ほんの僅かな時間である。

「あのあたりは、わたくしたちではないですわね」

「うん。けどこれって、随分と……」

「これは、凄いものだね」

「……ん」

 左右に広がっていた月星と氷河が気付くのも五秒と経たない先で、四触は湖の底に広がっている閃穴の全くない空間を目の前にして静かに陣形を狭めた。

 集合して見据える先にあるのは、明らかに触手が閃穴を食べた痕跡だ。それもかなり広い範囲を、湖の底が綺麗に見えるくらいに食べ尽くされている。元々あった閃穴がわからないから大食らいかどうかはわからないが、月祭りのこの時期、あそこだけ閃穴が一つも発生しないというのはとても不自然だ。

「調べますわよ。わたくしとンリァスは底の方を、月星と氷河には俯瞰するように観察してもらいますわ」

「あっ! それあたしの役目! ヒロインはリーダーたるべし!」

「別にいいではありませんの。武闘派ヒロインなら、そういうタイプもいますわ」

 またの名を、脳まで筋肉の脳筋ヒロインと呼ぶ。触手の体は一般の生物とは大きく違うから、実際に脳のあたりに筋肉があるとも言えるのだが、当然、そういう問題ではない。

「仕方ない。その代わり、あなたに活躍をお願いするからね。とりあえず、そこにある怪しいものは全部集めちゃってくれる? あたしは貝を見つけたら、茹でてお土産にする!」

「水中で料理はおすすめしませんわよ。まあでも、そうですわね。わたくしだけの方が、存分に能力を振るえますわ」

 ンレィスは閃穴がすっかりなくなった空間の中心に移動して、塊の中から百数本の触手を一気に伸ばす。短いものは彼女の近くの湖の底に、長いものは閃穴のない空間の端付近に、湖の底の一部を等間隔に広がった触手が埋め尽くしていた。

「触れたところには、特に怪しいものは……魚もいますが、まあいいでしょう」

 呟いて、ンレィスは個体の能力を存分に発揮する。百数本の触手の一部からは強い斥力が生み出され、残りの触手が強い引力を生み出し、湖の底に沈む物体が何十本かの触手に集まっていく。

 いっしょに魚も何匹か、それぞれの触手にくっついていく。

「魚はキャッチ&リリースですわ」

 すっと能力が解除されて、魚は逃げていく。同時にくっついていた物体も触手の周辺に落ちて、底に集まった物体のそれぞれをンレィスはチェックしていく。

 集まった場所を見ていたンリァスも動き出して、集められた物体の中に怪しいものがないかを見ていく。宣言通り、集まった中から食べられそうな貝もどんどん捕まえていくが、目的は食べるためではなく中を確かめるためだ。

 液体の中に捕まえたものを、ンリァスが調べれば一瞬で終わる。どんどん捕まれられた貝はどんどん吐き出されて、ほとんどの貝が再び湖に戻っていった。

「どうだい、見つかったかい?」

 上で様子を見ながら、湖中の痕跡を探していた氷河と月星が沈んでくる。二触に手がかりがなかったのは、触手をすくめた様子を見るだけで伝わってくる。

「わたくしは特にないですわね。ゴミもなく、とても綺麗な湖ですわ。魚の死骸や、何かの骨は少しありましたけれど」

 太い骨は魚ではない動物の骨と見られるが、触手の痕跡ではない。何らかの事故で死んだ動物の死体があったのか、それとも太古から眠る恐竜の骨か、気になる者がいれば気にするところであるが、この場にいる誰もそういったものには興味はなかった。

「ゴミならあったよ。全く、誰だろうね、こんな布を捨てたの」

 言葉とは裏腹に、声色には怒った様子のないンリァスの体内には、綺麗な布が一枚入っていた。液体の中でたゆたう布は色のない透明な布で、それでいて虹色の輝きを放っていた。湖の深い場所で光は弱いはずなのに、まるで輝く太陽の光をそのまま受けているかのような、鮮やかな虹色のスペクトルである。

「なんですの、それ?」

「みんなも調べてみる?」

 液体の触手が伸ばされて、布が水中に戻ってくる。大きな貝の口に挟まって飛び出ていた切れ端を引っ張ると、中から出てきたという綺麗な布である。

「ゴミ、じゃないね」

 脚のような触手の上、蛇のような太い触手を近付けた月星が、一言で結論を口にした。

「やっぱりそうだよねー。この布、残骸だからほとんど力は残ってないみたいだけど、ほら、これをそこの貝に被せると……」

 透明な布を被された貝は、姿がはっきりと見えるはずだった。しかし、その布に隠された貝の姿は虹色の輝きに隠れるように、姿を薄れさせていた。

「光の屈折、ではないですわよね」

「だろうね。どういうわけだか、感知もしづらくなっているよ」

「残骸だから、ちょっと離れても貝があるとはわかるけどね」

 ンリァスがその布を再び液体の中に取り込み、回収する。すると、貝の姿ははっきりと見えるようになった。感知もしやすくなり、今なら遠くからでも発見できるだろう。もっとも、探すべき貝がわかっていればの話ではあるが、今重要なのは布を被せただけで見つけにくくなったという事実である。

「目的が隠すためなら布だけどさ、隠れるためだとしたら、これ、布じゃなくて衣だよねー」

「便利な衣ですわね。そんな衣があるなら、わたくしたちどころか、恋凜でも見つけるのは簡単ではありませんわ」

 その綺麗な布――綺麗な衣は、ンレィスたちが湖の底で見つけた確かな手がかりだった。


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