緋色の茜と金のオルハ

九 劇的な出会い


 魂流図書美術博物館五葉カフェ。いつもは数人で入ることの多いこの場所に、浴衣は今日一人で訪れていた。とはいえ図書美術博物館の他の場所に茜やオルハもいるのだが、今日は一人にしてほしいと浴衣から言ったのは初めてである。

 それぞれが見たいものを見るために、結果的に別行動となることは浴衣とオルハの二人で来ているときにはよくあったし、茜が加わってからも魔衣と出会った日のように、浴衣が一人で行動する日はあった。

 しかし、今日はそれとはまた別の理由。茜とオルハは気にしつつも理由は問わず、浴衣を一人にしてあげることにした。

「クッキーとコーヒーをお願いします」

「はいはーい。何か相談もあったらいつでもいいよー」

 注文を受けた椛は、笑顔でその言葉を残して戻っていった。今日の五葉カフェにいるのは、店員の西崎楓と東山椛と、お客さんの湯木原浴衣の三人だけ。

「はい」

 浴衣はそれだけ答えて、到着するコーヒーとクッキーを待ちながら考える。

 劇的な出会いをして、劇的な恋をして……そんな恋愛に憧れていた。そしてその出会いは最近発生したのだが、あまりにも劇的すぎて恋の感覚が麻痺していた。

 直後に幼馴染みから知らされた事実もまた、それを加速させる要素だった。

 けれど、それももう終わった。腹違いの姉に魔女のことを教わり、ラフィェリータという小さな女神に出会い、浴衣ははっきりと最初の出会いが望んでいたものだと理解していた。

「お待たせー。……っと、お待たせしました」

 フランクな態度で運んできた椛が、楓の無言の視線で言葉を直す。相談モードに入るのはいいけど、接客もしっかりしてね――視線に込められた意味は振り向いた浴衣にも認識できるほど、露骨なものだ。そして浴衣の振り向きに気付いた楓は、相談ならいつでもという優しい視線を浴衣に送り、浴衣もその意味を理解して小さく頷く。

 コーヒーを一口。

 クッキーを一枚、少しずつ口に運ぶ。

 自分は今、茜のことをどう思っているのか。浴衣は考える。理想の恋愛、理想の出会い、劇的な出会いは完璧で、今は同居している彼女。しかし、劇的な恋は始まっていない。

 それは浴衣の感覚が麻痺していたのもあるが、茜が恋を知らずに動いてこないことも理由の一つだ。ただ、それは彼にとって問題ではない。恋愛は二人でするものだが、恋愛の始まりは大半が片想いだと思うから。

 クッキーを一枚、半分ずつ口に運ぶ。

 それからコーヒーを二口。

 自覚してから改めて茜のことを観察もした。悪の秘密組織の一人娘で、夢は世界征服。その疑いようのない危険思想を除けば、とても可愛い女の子だ。

 だけど、それを否定するようではいけないと思う。その考えも含めて自分は、茜のことを劇的な出会いをした、運命の女の子だと思えるか。そう思えなくては、茜のことが好きなどと言えない。

 幸いにも、彼女の能力なら悪いことをしても、警察に捕まるようなことはないだろう。世界的には色々大変なことが起こりそうだが、その心配はいらない。

 コーヒーを一口。

 クッキーを二枚、順番に口に運ぶ。

 もちろん浴衣も、悪いことに加担する気持ちは今のところない。幼馴染みのオルハのこともあるし、可能な限り二人が争うようなことは止めたいと思う。

 もう一つ考えたいのは、そのオルハとの関係の変化だ。異銀河人だとか、喋り方や雰囲気だとか、そういうのは問題じゃない。幼馴染みの金藤織羽であることには、それらの事実は影響しないのだから。

 問題は、自分が茜に告白して――その結果の如何に関わらず――起こる変化。告白したところで、幼馴染みの関係が終わるわけじゃない。オルハ本人も、自分のことを人として好きだとは言っているが、恋心はないとも言っている。

 だったら何も変わらない。少し呼び名が変わるだけで、変わらないはず……なのだが、彼女も自分と同じように感覚が麻痺していたら、という可能性を考えてしまう。

 最後の一枚。

 残ったクッキーをゆっくりと味わい、全てを喉に流し込む。

 残ったコーヒーも、しっかり味わい飲み干していく。

(動くなら今日にしよう)

 浴衣は決意を固める。いくつか気になることはあるけれど、気にしてばかりで動くのを躊躇していたら、劇的な恋なんて千年あってもできない。いざというときには動けるように、心の準備はずっとしてきた。その日が、ついにきたのだ。

「楓さん、椛さん」

 ただ、少しだけ。声に出しておこうと思う。

「今から告白にいきます。それでその、いいですか?」

 心の準備はできても、体の準備をするために。なんたって、初めての告白なのだ。

「おっけー!」

「それくらいなら、サービスしますよ」

 笑顔で答えた二人に、浴衣は会計を済ませて五葉カフェをあとにする。

「いってらっしゃいませ」

 ありがとうございました、ではなく。二人の揃った声をを背中に受けながら。


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