緋色の茜と金のオルハ

四 五葉カフェ


 翌日の放課後も、彼らは魂流図書美術博物館に集まっていた。今日は広場ではなく、魂流図書美術博物館に併設された『五葉カフェ』に集合する。

「ごよう?」

「『いつつば』だ」

 読み方を尋ねてきた茜に、浴衣が答える。五葉カフェと書かれた看板に、振り仮名やローマ字の併記はない。

「浴衣さん、茜」

 足を止めた二人に、振り返ったオルハが呼びかける。二人は小さく返事をして、五葉カフェの入り口に急ぐ。待っていたオルハと並んだところで、浴衣が呟いた。

「やっぱり慣れないな、その浴衣さんって呼び方。どうにかできないか、織羽?」

「気に入らない?」

「さっきまでは、ゆかたんだったからな」

 学校でのオルハは、いつもの幼馴染み金藤織羽。浴衣のことをゆかたんと呼ぶ、幼馴染みとしての金藤織羽だった。それが異銀河人オルハに切り替わるのは、図書美術博物館に到着してから。一歩入れば、ゆかたんから浴衣さんである。

「呼び方だけは、元通りじゃだめか?」

「……ゆか、たん」

 やや恥ずかしそうにオルハが呼んだ。それを見て、茜がからかいの言葉をかける。

「恋する乙女の反応だよね」

「恋はしてない。私は浴衣さん――ゆかたんのことは人として好きなだけで、恋心はない。そもそもゆかたんは、劇的な出会いをした……あ」

「その話、中で詳しく聞かないとね」

 勝ち誇った表情の茜に、浴衣は肩をすくめる。オルハは浴衣の反応を見て謝ることはしなかったが、まんまと乗せられた茜を軽く睨み、警戒すべき敵としての認識を強めていた。

「いらっしゃいませー」

 五葉カフェの店内。来客を出迎えたのは、可愛らしい制服に身を包んだ若い女性。

「いらっしゃい」

 続いて、カウンターの裏にいた同じく若い女性が挨拶をする。

 この二人が図書美術博物館五葉カフェの店員だ。茜に視線を向けられて、浴衣が応じる。

「椛さんと、楓さん」

「あっ、女の子が増えてる!」

「椛」

 茜の姿を見て声をあげた椛を、カウンター裏から楓が諫める。

「ひがしやまもみじです。東の山に色付く椛。あ、椛はきへんに花の一文字の方だよ」

 セミショートツインテールの店員が、元気な笑顔で名乗る。

「にしざきかえで。西の崎に色付く楓」

 ミディアムツインテールの店員が、優しい笑顔で名乗る。

 五葉カフェの店員は楓と椛の二人だけ。楓がマスター的なことをして、椛がウェイトレス的なことをしているが、二人とも役職は図書美術博物館併設カフェの店員であり、マスターでもウェイトレスでもない。

「西崎さんに、東山さん……とうやま、じゃないんですね?」

「たまに間違えられるんだけどねー。私、声の演技は上手くないよー」

(この時代の声優には詳しいのか)

 茜が話している間に、浴衣たちは席につく。一・五階のガラス張り、五葉カフェの店内は爽やかで涼やか。並んだ席はガラスを正面に横一列。どの席からもガラス越しに外の展示物を眺められる、図書美術博物館併設を活かした喫茶店だ。

「学校が終わるまで魔姫さんとゲームしてたら、覚えちゃって」

 遅れて席についた茜が、先程のことを自ら説明する。現代の声優知識は、この二日の間に彼女の頭に蓄積されていた。

「学校に来る気はないのか?」

「未来でも学校には通ってなかったから」

「悪の秘密組織ゆえ?」

 オルハの質問に、茜はゆっくりと首を横に振る。

「私、頭が良すぎたから。小学校に入る頃には、飛び級でも足りないくらい飛んじゃってて。そんな頭を世界のために使わないのはもったいないでしょ? だから悪の秘密組織を作って、世界を征服することにしたんだよ」

「平和に使えばいいのに」

「えー。……と、ここには何があるの?」

 茜の言葉に、浴衣とオルハもカフェに来た目的を思い出す。

「紅茶とコーヒー、それと焼き菓子」

 浴衣が説明すると、タイミングを見計らって椛がやってきた。

「じゃあ、私はクッキーと紅茶」茜が一番に注文する。

「同じくクッキーとコーヒー」続いてオルハの注文。

「紅茶を」これは浴衣の注文だ。

 三人それぞれの注文が終わり、椛が離れたところで会話の続きが始まる。

「未来にはこんな言葉があってね。『人類にとって最悪の発明は、核でも永久魔法理論でもなく、発達しすぎた医療である』――さる有名な人物の言葉。名前を言っても、この時代の浴衣くんたちにはわからないと思うけど」

(核の次もわからないんだが)

 浴衣は思ったが、これが単なる前置きであることも理解している。話の腰は折らない。

「人類は増えすぎた動物を駆除して、生態系のバランスを自ら修正することもできる、優秀な動物だよ。高い知能と理性を活かして、文明も発展させた。だけど、人類にとってはその文明こそが、動物としての大きな欠陥でもあった」

「欠陥?」

 思わず浴衣は疑問を口にする。茜は小さく頷いて、言葉を続けた。

「増えすぎた動物は駆除しても、増えすぎた人間という動物は駆除できない。人類の作り上げた、理性や倫理観、宗教観といった文明が邪魔したんだよ。この時代でも、人口増による問題はいくつもあるよね? そしてその最大の原因が、医療の発達による長寿の常態化。あらゆる死の原因を克服し長引かせ、地球の広さも考えずに人は増えすぎた。だけど、人は人を大量には殺さない。殺人は悪いことだから」

「私たちにとっては、遠い昔に解決された問題。けど、それも進化に必要な過程と学んだ」

 茜の話にオルハが理解を示す。浴衣にとっては難しい話だが、要点は理解した。

「もしかして、それで悪いことを引き受けようと?」

「え? 何言ってるの?」

 ……と思ったのは気のせいだった。推測が外れた浴衣は、視線で説明を求める。

「人口増の問題は、私が生まれた頃にはとっくに解決してたよ? 当時はホスピタルショックっていう、医療従事者の大量リストラでパニックも起きたらしいけど……それに、もう忘れちゃった? 私、人殺しはしてないって言ったよ?」

「ああ、そういえば、そうだったな。じゃあ」

「私は悪いことがしたいからしてるだけだよ? 平和を目指すより、こっちの方が色々と面白いことができそうだったから」

「やはり危険人物」

 オルハが断定して、茜は褒め言葉を受け取ったかのように微笑む。話に一区切りがついたところで、注文したクッキー、紅茶、コーヒーが到着した。

「お待たせしましたー」

 椛が順番に注文の品を乗せていく。茜はすぐに紅茶を手にとり、オルハはクッキーを一枚つまむ。浴衣もコーヒーを一口。みんなが一息ついてから、話は再開された。

「さて、話を変えて、ここからは浴衣くんの好みについて!」

(忘れてなかったのか)

 難しい話が始まってすっかり忘れたのではと油断していたが、茜はしっかり覚えていた。

「女の子とは劇的な出会いをして、劇的な恋をしたい。だから、普通の出会いや告白には恋心が芽生えない。それだけだよ」

 もう隠しきれないと観念して、浴衣はすぐに白状する。

「ふーん。覚えて……あれ?」

 そこで茜は一つの疑問に気付く。自分と浴衣との出会いを思い出して、一言。

「私は?」

「期待以上に劇的すぎて、正直よくわからない。次の日には、幼馴染みが異銀河人だったと判明するし、恋ってなんなんだろうな」

 浴衣はコーヒーをもう一口。茜もクッキーを一枚つまんでから、答える。

「難しい問題だね。一日で人類滅亡させる方法を実行する方が簡単」

(簡単!)

 さらっと口から出てきた言葉に浴衣はびっくりするが、幸い口に含んだコーヒーは食道の先まで流れている。次の一口は控えつつ、浴衣は誰かの言葉を待った。

「人殺しはしないのでは?」

「『しない』と『できない』は別だよ」

 オルハと茜が同時にコーヒーと紅茶を口に運ぶ。恋の話はここにいる誰にもわからず、彼らは言葉なくのんびりとした時間を過ごすのだった。


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